エレガント、かつブリリアント

各所で宣伝されたモダニズム・シムポ@国立に参加。聴衆に院生が多いので質問が出ない場合の質問要員として。予想どおりに各ペイパー終了後のセッションでシ〜ンとなる。しかしこれは議論の内容に失望したゆえではなく、とてもブリリアントな内容に圧倒されたもの。しかたなく2つほど質問する。責任上愚直にも事前にワードで打ち出した英語を棒読み。これでは不器用なディスカサントのかっこうだ。

まずはジャニさんに。しかしジャニさんのペイパーは出版前の未定稿で著者の許可なく引用することは固く禁じられているので、ここでその要約をすることは憚られる。差支えがない限りでいうとクライン派を読むジャコウブスに触れつつfigureのmaterialityに論及するところなんぞ、とてもブリリアントで痺れる。全体にパフォーマティヴな一種ベンヤミン風の断章形式でじつにエレガント。少なくとも小生の好みのタイプ(北米の若手に最近見られる一タイプらしい)。

中山さんは「トランス・アトランティック」という昨今流行のテーマにのっとりながらも、ウィンダム・ルイスのホイットマンアメリカ)読解とヒットラー(ドイツ)読解をラカンの「性別化の図式」を通じて再読するもの。ファシズムのParallax的な不/可能性を読み込むことで「近代」の政治学の急所である(はずの)「全体性=普遍性」というプロブレマティークを前景化する掛け値なしにブリリアントなもの。29日@駒場もよろしくお願いいたします。小生、スタインベックにいたっては無知蒙昧なので質問はさすがに遠慮する。どうにか質疑応答セッションの前半については責任を果たした模様。かな?

パネラー間の質疑応答でジャニさんが中山さんに熱心に質問をする。しかしジャニさん、熱心さゆえにとても早口でかつマイクに十分に音声が入らず、率直にいって質問内容が判然としない。どうやらラカンのような抽象的な話と具体的な政治をどう接続するつもりなのか?みたいな風にも聞こえるがあんなブリリアントな発表をした方がそんなナイーヴな質問をするはずもなく、ただ見守るのみ(確かにある種のエスニック・アイデンティティからすれば中山さんの議論の射程を見誤りアグレッシヴな質問もありえないこともないが、この場合はそれに当たらないし)。あとで中山さんに聞いてみたらやはりそんな単純な議論ではなかったようで、妙に介入しなくてよかった。

懇親会の居酒屋ではジャニさんの隣に座り英会話をする気力・体力なし。このように刺激的なペイパーではなかったらこの日のシムポ、ドタキャンするようなコンディションだったのだが、会場で一時的に興奮したもののその後また心身ともに低調に。文字どおり末席に座りボーっとしていた。11時過ぎまで国立の居酒屋でダラダラしていたら、八王子でふと気がつくと横浜線が町田までしか行かない。しまった。菊名→国立だと八王子経由で横浜線が最短なのだが、最終の時間を忘れていた。たしかに都立大時代に通勤に使っていたけどもあれからすでに3年か。

結果的に行ってよかった。同日開催の狼協会のほうはどうだったのだろうか。

しかし気力・体力は帰宅後低下し、かつするべき仕事は山積で、今晩のイヴェント@御茶ノ水は失礼することになりそう。