沈滞と退嬰としての断片

授業が始まり週末にも各種用件が入りその狭間に仕事をする気力も体力も十分になく、つまり仕事すすまず。まずい。普通に日常的に心地よく流されていく快感原則そのまんまという日々で、こんな風だったら碌な仕事もせずにいつにまにか定年・・・みたいな予感がかなり鮮明な心象としての遠近法のなかで存在するのは困ったものだ。週末は土曜日には掛け持ちで会合2つだし。むしろ死の欲動に突き動かされて仕事をめちゃくちゃしたいという気持ちがあるが、前期の後半には否が応でもそうなるだろう。後期についても。いや夏休みもね。わくわく。酒量もどんどん増えていっそ寿命を縮めてやる。

過日、自宅で旧知のイギリス人と世間話をしていて、very strange and uncomfortableというような感じに少々その文脈のビミョーなニュアンスがある意味でuncannyという語を使ったら、それは違うといわれる。彼女の説明ではこの語はvery similar to somethingという感じであって It is generally used in an exclamatory mannerだそうだ。たとえばこんな使用例を出された My friend has an uncanny likeness to Brad Pitt.うううん、こういうたぶん現代のイギリス口語表現にかえってフロイト的な含意があるのが面白い。小生が使用したのはぜんぜんフロイト的な意味ではなかったが。要するに「ぶきみ」という感じなのだが。米語の口語だとどうなのだろう。同僚の米国人に聞いてみようか。bizaareなんかについてもたとえばOALDの語義なんかは口語では当てにならぬらしい。すくなくともイギリスの口語表現では(まあ学生言葉っぽいようだが)。このブログをごらんの方には既知のことだろうけれども、小生は普通の辞書的な意味で会話では使ってきたような気がする(頻度は低いが)。

先日ある種の現代風の女子学生の表象として「エビちゃん」という隠喩を使用したが、それに対して個人的に厳重なる抗議があった。それはこの隠喩の使用のイデオロギー性に関するものではなく、むしろ実証主義的な立場によるものであった(「エビちゃんはバカじゃないぜ」)。たしかにこの意味でこの隠喩の使用は必ずしも適切ではないので、今後使用を控えます。

ある有名タレントが酩酊の末に全裸になって逮捕されたが、小生も20代には酔っ払うと「脱ぐ」くせがあった。そのころはいまと違ってかなり引き締まった筋肉系のいいガタイをしていたものだから、それを誇示する気持ちもあったのだろうか。しかし幸いにしてそのような体型の維持に見事に失敗したせいか、最近ではこの悪癖はまったくなくなった。しかしそれにしてもこのタレントが逮捕直前に同僚の名前を全裸で連呼していたそうだが、それって「マジ、ヤバくない?」(最近7歳の子供がまさに女子高生のイントネーションでこの表現を連発するので閉口している)。

言わずもがなの追記:上記「ヤバい」は最近の用法からして必然的に「ホモフォビア」の定義上の両義性を含意している。たとえば味覚上の感動を「ヤバい」と称する最近の用法を参照。ちなみに、小生の悪癖が同性間の宴会においてのみ現出したのかどうかは記憶に定かでない。