東部戦線異常あり

東部戦線と称した某翻訳方面作戦であるが久しく泥沼状態であったのだがどうやらベルリン陥落まであと数キロという段階に差し掛かっており(ドイツ軍とソヴィエト軍の両者に自己同一化しているのでこの隠喩はすでに破綻している)著者がとてもペダンティックな人でとくに哲学関係の引用がすこぶる多く、どうやらベルリンまで数キロの段階でニーチェの『悲劇の誕生』から大幅な引用(それも気取りに気取った衒学的な部分的引用)でもって2パラグラフが出来上がっているのに、ニーチェの日本語テクストが手元にないから、まあ明日は大学に行く用事がなくはないので研究室で参照するか。この膠着した東部方面作戦もまあ3月半ばまでには一応の終了を見ることになりそうだが(校正でどの程度手を入れるかは未知数)それと相前後して新たなる西部戦線が開始されることになっている(時系列からすれば冷戦か・・・それならやはりソヴィエト軍に同一化していることになるが、どうも子供のころから戦争ごっこにはじまりTAMIYAのプラモデルにかなりのところハマった立場からするとソヴィエト軍というのはどうにもヴィジュアル的にダサくて愛着の対象にはならない(といいながらジオラマの特権的な戦場はほかならぬ東部戦線であったよなあ、とうぜんドイツ軍の陣地であるが)――まあ、あのスターリン(重)戦車には独特の感じはあるのだが、これが大好きというような(露骨にファリックな)やつとはあまり友達になれそうにもない気がするし、小生はむしろドイツ軍の軽戦車の類を特に好んだ記憶が・・・というよりもヴィジュアル的にドイツ軍は他を圧倒しているわけでしてそのバイアスからソヴィエト軍の審美的判断がなされている可能性が大であるし、その戦争オタク的なところでいうと実は昨日の翻訳作戦終了が本日未明の2時過ぎで思わずその後に地上波でやっていた『パールハーバ』を最後まで観てしまったのも日本海軍の戦闘機がじつに精巧に復元されていたからだが、いくらこの映画のヒーローが搭乗しているからといって当時のアメリカ陸軍機(カーチス)が零戦21型を次から次へと撃墜するかのごとき性能を帯びているのはいくらなんでも実証的にいってムリでしょうとか思った)。しかしこのレトリックでいうのならば小生の仕事の仕方、戦争のプロである有能な参謀の反対を無視して戦線を拡大するヒットラー的な無謀さがあるのかもしれない。しかしなんというエントリー。