様々な業務な1日

今日は昼から科会。その直後から修士論文の審査。レイモンド・ウィリアムズのジェイン・オースティン読解をウィリアムズの「感情構造」に依拠しながら批判するという興味深いアプローチ。論文前半は図式的なきらいはあるが後半オースティンのテクスト(『高慢と偏見』)におけるintelligenceという語の使用を精読したあたりから面白くなる。若い人の書いた論文なので欠陥もあるがセンスというかポテンシャルを感じさせる。英語もネイティヴ・チェックを受けていない割にはきちんとしている(細かい注文はとうぜんあるけれど)。読んでよかったという印象。その後しばらくしてから教授会。最近の東部戦線の疲れからかかなり爆睡してしまう。めずらしく17:30頃終了したので個人研究費そのほかの溜まった事務の処理と研究室の整理整頓をしてしまう。今日やらないと4月からの新学期を乱雑なオフィスで迎えることになる。小生、身につけるものと仕事部屋に関してはかなり潔癖というか神経質。ただし職場の状況で精神が荒廃してくると後者は乱雑になる。赤坂と南大沢では最後の1年くらいはそうだった。ロンドンでは1年を通じて整理整頓されていたはず。だってあの1年は人生で一番幸福な1年であったからね。だって朝から晩まで誰にも邪魔されずにメラニー・クラインのあの晦渋で狂気なまさに怪獣なテクストを読んでいることができるのですもの(という感動のあまりの女言葉はわれながら意味不明だが)。それに比べると赤坂と南大沢では片付ける暇と気力と体力がなくなるような事態になったからね、最後のあたりは。そんなこんなで19:00を過ぎる。南大沢の英文科で卒論を指導した学生から携帯メールが来て飲みましょうということなので彼も菊名周辺なので例の地元のバーで浅酌か。そういえば(という論理的流れはヴァージニア・ウルフのforと同程度にいい加減である)先日吉祥寺の大学における組合の組織率が30%代だと聞く。麻生内閣の支持率よりは上だがこれは低いと言わなければならないだろう。遠慮がちな勧誘があったので、小生は当然入る、と申したら、すでに入っている同僚からまるでレジスタンスの同志となったかのような感動とそれに由来する熱狂的な拍手が起きる。小生の過去勤めた大学は二つとも経営的権力によって潰されたわけだから、吉祥寺だってどうなるかわかりはしない。小生は自分の職場の将来には過去の経験からかなり頑なに悲観的である(そう学習してしまったから仕方がない)。割とそれに楽観的な同僚を見ているとこれまで順風満帆だったのだろう、とか思う。ということで組合には入る。そういえば南大沢では例の改革という名の権力の濫用のあと組合の組織率が30%代から80%後半まで急上昇したっけね。組合入ったけど教務委員の間は委員長は勘弁して下さいよね。しかし旧財閥系の経営側というのはどういう感じだろうか。