麻生的中川/中川的麻生なひと

昨晩メールをくれた南大沢時代の教え子から再度メールが届き共通の知人夫婦と大井町で呑んでいるという連絡でそれもそのご夫婦にお子さんができたというものだから吉祥寺から大井町まで遠征することにしたけれど渋谷からりんかい線という電車に乗るとあっという間に到着したのは幸運な意外であったのだがそういえばこの大井町具体的には南品川のゼームス坂辺りに昔母方の一族が住んでいたことがあって後藤明生あるいは五木寛之と同じく(作家的な価値からして並列するのは前者に礼を失するが)平城から38度線を越えて内地に命からがら引き上げてきた際にこの辺りに不動産を所有していたのでしばらく住んでいたという次第なのですがその後は久我山に移るなどと母方の家系についてここで語っても仕方ないのは承知しながらももう少し語っちゃうとその母方の祖父(つまりお袋の親父)が平城に行った訳というのが少々ふるっていて新潟のかなり裕福な呉服屋の次男坊で旧制中学4年修了でもってこれも当然旧制の新潟高等学校の文科に入ったのだが4年で入ったのだから1年くらい落第しても大過あるまいと高をくくっていたところそれが父親の逆鱗に触れて即刻強制退学なにがしかの金をもらって植民地へということであったそうだがちなみにこの祖父小生と見た目も性格というかキャラもよく似ていたそうですが引き上げ直後肺結核でたしか40代で亡くなるのだがというようなことを言っても仕方がないけどもいずれにしても(これもいい加減な使用)大井町から菊名に移りさらに件の学生と結局は痛飲ということになってしまいしたがって本日はいささか二日酔気味なそんななかで東部方面作戦を続行しているとふと昨日のエントリーにおいて小生が小生の勤務先の将来について悲観的であるというコメントをしたのはこれはひょっとすると誤解をよぶ可能性があるかもとか思いつくのであって客観的に見れば吉祥寺の大学経営は保守的なまでに堅実かつ堅調だそうで同じような歴史と名前の某大学とは対照的に財政状態は良いそうなのだがこういった客観的な状態にも拘らず悲観してしまうことを心的に学習してしまったという意味が真意であったなどとか書いているとまるで失言を年がら年中釈明している某麻生の醜態を某中川のようなアルコール的状態でしていることになりこのエントリーのタイトルになる次第でして小生の政治家的資質はつまり最悪ということ。