思い切りハズしたイタリアン

子供が野球の合宿で出かけているので久しぶりに夫婦で外食ということで新横の某イタリアンに。本当は寿司の予定だったが台風接近で海がしけていて、たいしたネタはないのではとサスペクトし、結局イタリアンということに。あまり期待していなかったが、やはりかなり良くない。ピザは70点、パスタは72点という感じ。選んだ3500円程度のワインもくだらない(65点)。メインディシュはかなり犯罪的(50点以下)。しかし、隣で家族で来ていた女子中学生が「おいしい」と感動してパスタを頬張っている。まあ、昨今の女子中学生なぞはドッグフードにマヨネーズをかけて食っても旨いだろうからなあ、とかふと不遜なことを思うが、小生の舌もかなり傲慢不遜になっているのか。イタリアンにはかなり元手をかけたからね。しかしこの年なのだからこれくらいのことは言わしてもらいたい。酒も不味いのはもう断固飲まないし(発砲酒とかチュウハイ飲むくらいなら断酒する、ウィスキーもブレンデッドはダメになったし)。件の新横のイタリアンここで名前を挙げたいが、営業妨害になるのでこれは控える。これを読んでカミさんとメシ食ってうまいわけないだろ式の突っ込みは十分予想している・・・(まずい、このブログの存在はとうにバレている・・・)。合宿での子供は頑張っている模様。港北区で一番強いチーム名物の地獄の夏合宿ノックを受けて泣き出す子供がいる中、ニコニコしながら球を受けていたそうである。Mは遺伝するのか。小生もスポーツ的忍耐は大好きだからなあ。ここしばらく極度の運動不足で体重がヤバそうなので、そろそろ体をいじめるか。

追記:今晩も録画して海軍軍令部関連のNHKのドキュメント第2回を見る。特攻を立案あるいは指揮した海軍の幹部連中がことごとく戦後生き残っていることにやはり義憤を感じる(大西中将の戦後はどうだったっけ)。この番組、軍令部の元参謀が中心となって戦後(昭和55年)に密かに始めた「海軍反省会」の録音テープを主要な資料にしている。かなり誠実な反省会ではある。結論としては組織としての戦略も方針も確固たるものがなく、ただ「空気」に流される無責任集団としての海軍、特攻に関する「やましき沈黙」というような予想の地平に収まる内容だが、この種の「日本人論」はたとえ凡庸に響いても繰り返しする必要がある。一方で別の感想。テープで録音されている当時では齢70から80を超える元参謀である老人たちの日本語とその論理は極めて明晰である。以前に戦前の旧制高等学校のランキング表を見たことがあるが、それによると大正から昭和にかけて一高よりも海兵のほうがずっと難しい。つまりあの老人たちは戦前の偏差値エリートであるわけで、頭脳は明晰である。しかしその偏差値エリートが「海軍あって国家なし」式の思考で国を滅ぼしたわけで、戦後の高級官僚もその伝統をまさに継承している次第、とかわれながら凡庸な「日本論」について暫し妄想(申そう)。昨日も触れたが大岡昇平が確か『成城だより』かなにかで、無責任で事大主義的かつオポチュニスト的な日本人の「起源」について幕藩体制あたりから語っている箇所があったが、司馬式の日本人論ではない可能性がそこにあったかのような印象が残る。ちなみにこの海軍軍令部長には長く宮様がいらしたそうで、それは寡聞にして知らなかった。しかし海軍の特攻といったら母方の伯父に二人生き残りがいる。一人はたしか予科練(お、一発で変換できた)であった。飛行機に乗るにはそれなりの学力が必要であったようで、確かにこの二人の伯父も戦前から戦後にかけての偏差値エリートの部類で頭脳は明晰である。と思うとじつに前途有為な人材を戦後の日本は失ったことになる。しかし旧制高校とか予科練とか戦前に関する話を内容の必要上たとえば吉祥寺のゼミで話すと学生がキョトンとするのはやはり悲しい。

追記2:ネットで調べると大西中将は敗戦の翌日割腹自殺をしている。小生の無知がまた露呈しました。

追記3:この第二回の眼目は、特攻の立案に関して海軍軍令部がかなり初期から主導的な役割を演じていたという事実を、複数の資料と証言から論証している。実戦の「現場」から崇高なる精神でもって自主的にパイロットが志願したというがごとき神話は明らかに神話であるのは間違いないが、或る90まで生きた元軍令部第一部長は死ぬ直前の講演でこの種の神話を繰り返している。

追記4:昨日の回では、開戦直前は開戦を前提にした勇ましい予算請求をすると大蔵省がことごくそれを認めたそうで、昭和15年から16年にかけて海軍の予算は倍増している。当然陸軍との予算上の鞘当もあったわけで。開戦やむなしという海軍大臣の決断の背景には、上記の点と同時に、仮に海軍が反対したとしたら陸軍がクーデターを起こし、内戦を戦う戦力として海軍が劣勢であるというがごとき状況判断もあったという説もある。

追記5:海軍軍令部が海軍省よりも大きな発言力があったのは、無論、天皇統帥権を盾にしたからである。