図に乗って、さらに宣伝をば

すでに少しばかり宣伝しましたが、日本英文学会関東支部会の1月例会(2010年1月9日(土)@専修大学神田キャンパス1号館)でシムポジアウムをオーガナイズします。特に、近現代イギリス文化・文学研究に関心がある方にはぜひぜひご来場して頂きたい企画です。一足先に宣伝します:

「性」と「心」をめぐるイギリス近現代を再読する
――心理学、法言語、寿命のテクノロジー精神分析――


司会・講師:遠藤不比人(成蹊大学准教授)
    講師:矢口朱美(エクセター大学大学院生)
        野田恵子(日本学術振興会特別研究員)
        加藤めぐみ東京学芸大学非常勤講師)


ミシェル・フーコー以後、近現代の文化・文学研究において「セクシュアリティ」は特権的な主題となっている。殊に英米文学研究においては「クイア理論」が洗練されたテクストの解釈を可能にし、その結果多くの優れた業績が生産されてもいる。しかしながら、こういった研究の趨勢にも拘らず、「性」ないしは「心」をめぐる非常に重要な言説群がいまだに近現代のイギリス文化・文学研究において十分な読解の対象になっていない。本シムポジアムはこのような状況認識から、今触れたような「性」あるいは「心」に関する言説群を一次資料として精読しながら、その読解をより広範な文化・文学研究へと接続する可能性を模索する。
具体的には、最近ようやく本格的な研究の兆しが見える世紀転換期のイギリスの心理学、特にJames Sullyの心理学に注目し、彼のヴィジョンとVirginia Woolfのヴィジョンとが交錯する様を読みながら、同時に大戦後フロイト精神分析が受容された文化的なコンテクストをも精査する(矢口)。
また同じく世紀転換期のイギリスの「性科学sexology」(およびそれに関連する言説)を、男同士の性的関係を裁く法の言説との関係性において読み解きつつ、「性科学」が「同性愛者」という主体の形成過程においてどのような意義を帯びていたのかを再考する(野田)。
さらに、戦間期優生学的言説のなかで特に「寿命」または「回春術」(rejuvenation therapy)に関する言説、たとえばC. P. Snow, New Lives for Old (1933) やGertrude Atherton, Black Oxen(1923)、大衆SF雑誌Amazing Stories Magazinesを読むことで、あの400年生き続けるオーランドが生まれたコンテクストを浮き彫りにする(加藤)。
最後に、第二次大戦後のイギリスの「福祉国家」における「母」をめぐる言説とイギリスの精神分析クライン派の理論)との相互関連性に注目しながら、ラディカルなメタ心理学が極端に言えば「育児書」的イデオロギーに回収される――と同時にそこから逸脱しもする――テクスト的な事態を前景化し、この時代の文化の一面を明らかにする(遠藤)。
このように本シムポジアムはイギリス近現代史研究において極めて重要でありながら、特に文学研究者が一次資料レヴェルで着目していなかった「心」と「性」をめぐる言説群を読解しながら、あらたな研究の可能性を示唆することを目指したい。

またまた忙しくなるぞ。

本日の「文学講義」@池袋では、ド・マンの『美学イデオロギー』にことよせて、差異なきアレゴリー=メトニミー的反復の切断としてのメタファー的な差異の搾取と<近代>(あるいはその脈絡での唯物論と観念論)みたいな話をしていたら、30人近くの受講生が90分集中力を切らさずに聞いていてくれ、リピーターの英文系の院生がひどくセンスの良い質問をしてくれたりすると、なにか救われました。10月に書いた2本の論文だってこれが基本的なモティーフになっているし。なんか変な理解のされ方を同業者にされて唖然とすることがたまにあるが、こういう瞬間があるとマジで救われる。池袋の文学部、かなり凄いことになっているみたいだね。それもこれが「文学講義」というのがいい。「文学原論」でもいいくらいだとも思う。といいながら本務の多忙で来年度は池袋の出講を断念したのは酷く残念である。