オランダ遠征から帰還

いつもならば学術的海外遠征が大好きで行く前から元気が出るはずが、今回は絶不調、超鬱のなかでの遠征となり、本当はあまり乗り気ではなかったのだけれども、やはり行ってよかった!というのが帰国後の実感。かなり元気をもらった感じだ。肝心の小生のペイパーへの反応については、日本のときと一緒で読んだ直後は一瞬沈黙となったけれど、少しずつ質問が出てきて「これって、こういう話なんでしょうか?」みたいな発言に応答しているうちにこちらの趣旨が徐々に伝わっていく様子だった。一番肝心なこの会に呼んでくれたジュリエットの反応がよかったのでほっとした。彼女の顔に泥をぬらずにすんだ。

向こうで懇意になった同じくペイパーを読んだ研究者にはかなりイムプレスできた模様。3日目のシムポで読まれたペイパーはジュリエットが編集するカリフォリニア系精神分析的雑誌The Journal of Culture and the Unconsciousの来年号に活字化されるそうで、あと数ヶ月はペイパーをpublishable formにする作業に専心しなければならない。これまでいろいろと批判も受けているのでその辺も考慮してelaborateしなくてはならない。

批判といえば向こうに到着するやいなやジュリエットがsmartestといったスロヴェニア出身でアメリカで教えている(迂闊にも名前は失念:要確認)いかにも厳格そうな教授が、初日のイヴェントが終わると「お前はいつ発表か?何時からか?」と尋ねてくる。どうやらジュリエットが何かを言ってくれたのか、あるいは初日の小生の質問とかコメントに感心してくれたとの情報もあるのだけれども、ともかくいかにもプレッシャー。しかし、最終日の2番目に小生が発表を終えると件の教授は困惑したような顔をなさって沈黙。チェアーのジュリエットがコメントを求めると、フロイトの夢テクストの「臍」と「死の欲動」とは別問題ではないか? むしろフロイトの欲動一般ということにつながるのであって、死の欲動に限定する議論ではないのではないか?などなどと批判的なご発言。こちらはthe semantics of the Freudian overdeteminationのlibidinal paradox云々云々と、ディフェンドするがどうにも説得できた感じではなかったなあ。まあ、メールマンはマルクス象形文字フロイトの臍をつなぐ可能性を間接的に示唆しているので、それを小生が再解釈したのだけれども、しかしメールマンってひともどうやら北米でもどこかいい意味でぶっ飛んでいる感じの人らしい。ともかく件の教授、都合があって午後はいなくなったのでその後に話をする機会はなかったのは残念。いずれまた会うだろうけれども。

1日目と2日目はフロイト左派再評価という話で話の中心はマルクーゼ。小生マルクーゼは甚だ不勉強でただただ勉強という感じ。よくある「文化への不満」におけるフロイト悲観主義に対する楽観主義というような単純な構図ではないものの、この図式の洗練化に議論の中心があるのはよくわかった。ともかくあのノーマン・O・ブラウンまでそのハチャメチャぶりを再評価という議論もありともかくいい勉強になった。ただオランダ語訛り、ドイツ語訛り、フランス語訛りの英語は聞き取りにくく、いかにもヨーロッパの学会という感じだったが、ただただ耳で聞くことになるので、肝心のところを聞き落としている気もしているが。

また小生のパネルで一緒のイスラエルの女性研究者2人とはジュリエットらとディナーを一緒にして懇意になる。国のパレスチナ政策を徹底的に批判する議論をイメージ=映像という点から試みる(それもマルクーゼがらみで)ペイパーなどとても刺激的であった。あの国における「左翼」というポジションの困難についてもいろいろと具体的な苦労話を聞く貴重な機会もありよかった。

トリリング論の研究者とは懇親会そのほかで大いに語り合う。メールも交換。小生、年末か年初には国立方面でトリリングでプレゼンするので(これってちょっと無理かも)この読書会と彼とがつながり今後刺激的な展開がありそうだ。彼もまだ本格的に読み始めたのは最近だそうで、プレゼンもメモを見ながらのレクチャー形式で、話はまだ断片的。しかしトリリングという人も屈託のある複雑な書き手であることは再認識。

マーストリヒトの研究所はユニークなところだった。ともかくアート、デザイン、セオリーの研究所であって、詳しくは前回のエントリーのリンクでご確認いただきたいが、非常に面白いところであって、トリリングの彼もここの研究員でいまはベルリンでポスドクというアメリカ人である。

またマーストリヒトというところもいかにも西ヨーロッパ(オランダ、ドイツ、ベルギー)の小都市(かつ古都)という感じで、天気も例外的に晴天続きでともかく美しい。学会のエクスカーション時には観光的に堪能。しかし小生こういったところに来るとなぜか「西部戦線」を扱った映画なり映像(たとえば古いけれど『コンバット』とかもっと最近では『プライベート・ライアン』など)とかを思い出してしまい、街の石畳を長靴の音を響かせてドイツ兵が行進している姿とか、あのドイツ軍のジープが道路を走行しているイメージが頭にこびりついていて、困ったものだ。森の中にはレジスタンスが潜んでいる気配までが・・・。