同時性

10月末の狼協会のシムポで制度的な「歴史(=理論)」主義への介入として「同時性」――たとえば『三ギニー』と『共産党宣言』とのそれとか――ということを前景化する成り行きになったのだが、この(非)時間性=歴史性はマルクスを読むデリダのいう非=同時代性ということになるわけで、この「還元不可能な不均質性」「内的な翻訳不能性」は「開口を穿つのであり――特に他者から――押し寄せるもの、到来するもの、あるいは来るべくままに残されているものの闖入によって開かれるにまかせる」ことになるから、「歴史化」という名の同時代化ということがやはり問題になるのであり、これって根本において科学(理論)主義的な脱政治(歴史)化というべきものであるし、出来事の出来事性を解消する――あるいはシェイクスピアを引用するマルクスがいうout of jointというべき錯時性の「空虚」を是が非でも満たそうとする―つまりは「政治」を躍起になって回避しようとする症候であるということになるよね。