出来事の出来事性

<われわれが冒頭からこれほどまでに幽霊の論理にこだわってきたのは、この論理が、二項的あるいは弁証法的な論理、すなわち(現前する、現在的な、経験的な、生きているあるいは生きていない)事実性と(現前しておらず、規制的あるいは絶対的な)理念性という両者を区別したり対置したりする論理を必然的にはみ出してしまう<出来事の思考>の方へと合図しているからである。>

この<事実性>と<理念性>は<経験>と<思弁>あるいは<肯定性>と<否定性>あるいは<唯物的>と<観念的>あるいは<現実態>と<可能態>と言い換えてもいいわけであるのだろうが、そうなると<幽霊>の非身体的な身体性デリダがいう非唯物論的な唯物性、あるいは<幽霊>という隠喩が喚起する<生>と<死>という隠喩系とそれらの弁証法からの逸脱=過剰としての<性>というメタ心理学的/思弁的な唯物論ということも。そしてこの<幽霊>の非時間的な時間性=反復(強迫)の非歴史的な歴史性という出来事性(潜在性=外傷性)ということも。もちろん弁証法からの過剰な逸脱というメールマン的な<モノ>ということも。