旧稿の推敲

タイトルの通りの仕事を日夜始めることになったのだが、担当の編集の方の適格な指摘のおかげで自身の文章上の悪癖が数々浮き彫りに。その中にはダッシュの多用が。これは自覚しており、また戦略的な意図をもって使用してきたつもりなのだが、そのダッシュが禁じ手になってしまう。しかし、これを原則なくす方向で書き直してみると、確かにreadabilityは向上する。やはり書籍は社会性がなくてはいけない(筆者にそれがなくても)。ダッシュを使用した理由のひとつは、1つの文章で場合によっては意味の捩れがあるような少々矛盾した陳述を同居させようというような目論見があったのだが、それはまあ読者には不親切であるなあ(しかしこの意図を読み取ってくれた某アメリカ文学者がいて感謝したりもしたのだが、そういえばこの方の文章も濃密、晦渋系である)。10日弱まだ授業開始まであるので、その間にできるだけ(後期は吉祥寺への出勤は週3日になりコマも減るので空き時間はこの作業に集中したいが、出演予定がかなりありこの作業にばかりというわけにもいかない)。いずれにしても10月以降は残酷な季節になりそうだが、このような密度の多忙さは以前は日常であったので、この1年の仕事のなさが例外である。比例してブログの更新も淡白になりがちだったが、しかしブログに仕事のことを書くのは最低という指摘もあり、どんなものか。どうも吉祥寺は南大沢に比べて良くも悪くもcomfortableなので、もう少し緊張感がなければいかんなあ。