いざモントリオール

小生にしてはめずらしく逡巡していたのだが、7月半ばのモントリオールのコンファランスでペーパを読むことにする。このコンファランス、心理学を中心とした科学的言説の歴史がテーマの4日間くらいのかなり大規模なもの(らしい)。まだHPなどはアップされていない。Sonuさんから未完成のスケジュールを転送してもらったのを見ただけ。迷っていた理由はやはり畑違いの「歴史」系の学会ということであったが、Sonuさんが an excerpt of your current workでやればいいじゃないか、とか何回かおっしゃるので、まあ歴史家からみてもworth doingなのかと思い勇気を得た次第。あのWork in Progress paperを読んでから、かなりtextual proofを見つけたりとか、議論としても煮詰まったところもあるし、まあ、この学会の準備ということで作業がより濃密に進むことになるだろう、と楽観。ともかく吉祥寺に戻れば、英語の論文を書いている暇はなさそうなので、ともかくロンドンでほとんど形を作っておかなければならない。ロンドンでのんびり資料を集めて日本に帰ってじっくり論文をなどという幻想を抱くと大変危険である。そのためにはあらゆるロンドンでの機会を逃さずに作業の濃密化と迅速化を心がけないと。

今日は10時前からoffice。Seamaのofficeに用があって行くと、ここのPsychoanalysis Unitと同時に学部のheadのPeter Fonagyがいるのでご挨拶。この方かなりの大物だが(Bobも知っていた)とても気さくな感じで安心する。「君のofficeの後ろにいるよ」などとおっしゃるので、I didn't know...とか口ごもる。なんだかここの研究所、狭いが迷路のようでほんとうに誰がどの部屋にいるのかよくわからない。こんどは昼頃にofficeで勉強をしているとDavid Tuckett(この方も高名な分析家)が「PEPにアクセスできたかい?」といきなり尋ねてくる。一瞬なんのことかわからなかったが、ちょっとまえにSophieにPsychoanalytic Electornic Publishingにアクセスできないけども、みたいなメールを出したのでその話が届いていた模様。つまりPEPはこの電子テクストのabbreviationということを頭の悪い小生の割には瞬時に気づく。そこで、BLではつながるが、Curiously enough, I cannnot have access to it here from my laptopというと、You are supposed to use a UCL pc hereという返事。まあ、そういうことだったみたいで、だからofficeとかUCLの教員用のcommon roomではだめだっとのだと合点。Davidのofficeは小生の正面で、よくinterviewをしているが、その英語のアクセントがちょっと分析家風なのかなという感じで面白い。基本的にはみなofficeの戸を開けて仕事をしている。

ここ最近AlixがKleinにattractされた背景にKarl Abrahamの存在、とくに彼のMelancholia論が重要であることがわかってきたので、この前ここでも紹介したCollected Papersの長勺のJonesによるintroductionなどを読んだり。ここにもかなり小生の議論の傍証となる箇所がある。うまく展開してきたようだ。そうこうしているとSonuさんがやってきてpaperのtitleをすぐにくれ、ということになる。そこで1時間少々考えてこんなのにする:Psychoanalysis as 'Psychography' of the Melancholiac: the Case of Alix Strachey's Attachment to Melanie Klein。Sonuさんがchairをするパネルは、Biography in the History of Psychologyというものなので、それを意識してこのような感じにする。ともかくこの時期に限らずに「母娘関係」の複雑怪奇をすこしでも解きほぐすためには、Freud発案でAbrahamが精緻化したこの概念をさらにradicaliseしたKleinというnarrativeが基本線になるのだが、さらにいえば(このまえここで紹介したJuliet編集の雑誌におけるJulietの論文を参照すれば)the Imaginaryの閉域――「母娘関係」の天国/地獄(享楽)ーーから逃れるgapとしてのthe place where the Imaginary meets up with the Realという話にもなるけれども、今回はその方向まではいけない。

ここ2ヶ月で思ったのは、小生のつぎの本は、Freud's Womenという点から、Alix Strachey, Joan Riviere, Ella Freeman SharpeといったBritish psychoanalysisの面々と同時に、そこにH(ilda) D(olittle) を導入することになるだろうとか妄想が膨らむ。特殊歴史的な問題から「母娘関係」のahistorical historicityへと、というのが最終的な目標だが。あのFreudが悩んだfemale sexualityという問題、この角度から小生にやれることがまだありそうだ。まあ、HDの場合は父を攪乱する娘ということになるが、まさにBritish psychoanalysisが父=フロイトを攪乱する娘たちの言説であった。

そういえば今年は、ソウル→モントリオールウェールズという流れになるなあ。このまえの小生のflatでSonuさんが言っていたのは、国際会議へ出るにはcirculation of invitationというcircuitがあって、その中にいることが大事だということだった。たしかにCharlesとかJulietとかSonuさんとかの個人的な関係は大きいな。Jamieさんもまたソウルに来てpaperを読んでねえ、みたいなことをおっしゃていたしなあ。生意気なことをいえばやはり海外の方がすくなくとも研究の居心地は格段に良い。

ソウルは科研を使ったが、今回のモントリオールは個人研究費を使おう。在外だとこれくらいしか使えない。これで年末に行こうかと思っていたMLA@Bostonはやめることに。