やはりAbrahamは大事だ

今日も10:00前からoffice。AlixがAbrahamのthe most obvious thingと1925年当時の書簡で言っていて(なのにベルリンの若いanalystsが読んでいないと文句を言っている)、たしかに彼のmelancholia論の決定版(まあこの論文出版の1924年の翌年1925年に彼は早世したのだが)であり、Alixを分析中の執筆、出版であり、その死後に編まれたSelected PapersにAlixが翻訳して掲載された長勺のKarl Abrahamのmelancholia論を読む(というかその後半部分はロンドンに到着直後にアンソロジーで読んでいたが、全編を読む)。やはりAlix's attachment to Kleinの背景を考える上で決定的なテクストであることがその細部にの多くにおいて判明。いまのところ先日ここでも紹介したつぎの本が先行研究としてはいちばんmustなのだが、そこではほとんど全然問題になっていない:

Freud's Women

Freud's Women

この長い論文を通読してAbrahamの理論家としての美質がわかる。非常に着実な理論的な進展を多くの臨床的経験から実践していることがわかり、死ぬ前の書簡でFreudが自分は年だから仕方ないが、いま君に死なれたらthe cause of psychoanalysisのために非常に困る、と嘆いていた訳がわかる。あとやはりAlixの翻訳が明晰なのだろう。Abrahamの英訳本は遺作として1927年の出版だが、1932年に出版された同じくAlixの翻訳によるKleinのつぎの英訳もやはり明晰:

PSYCHOANALYSIS OF CHILDREN (The Writings of Melanie Klein)

PSYCHOANALYSIS OF CHILDREN (The Writings of Melanie Klein)

着実な進展といえば、小生のprojectも着実に迅速に濃密にprogressさせないといけない。とくにこの「濃密」が大切だと個人的に思う。文体=思考が濃密ということ。濃密な文体といえばこの著者からのご本が自宅@横浜に小生のロンドン行きとすれ違いに届き、やっと今になった手元に届く:

アメリカ文学のカルトグラフィ ――批評による認知地図の試み

アメリカ文学のカルトグラフィ ――批評による認知地図の試み

『英語青年』連載中から注目していたお仕事なので、拝読が楽しみ。またこの方と縁が深い著者の遺作がやはり出版される:

文学力の挑戦 ――ファミリー・欲望・テロリズム

文学力の挑戦 ――ファミリー・欲望・テロリズム

この著者の逝去については、まさにmelancholicな情動のまま、いまだに言葉がない。

17:00過ぎに仕事を終えて、フラットを引き継いだ同僚宛の小包が小生不在のときに届いたので、Torrington Placeのofficeから徒歩15分程度のRathbone PlaceにあるRoyal Mailまでcollectにいってちょうだいというご依頼があったのでいってみたが、本人が来るか、deliver againしかないと言われたので、明日の10:30〜14:00の間フラットにいなければいけなくなった。フラットで勉強し、まあ、ついでに掃除でもするか。キッチンのレンジが汚くなってきたし。それからBLか。これも吉祥寺の同僚からカードの更新について聞いてきてというご依頼があるので。お二人ともお世話になっている同僚なので。

日曜日にRegent's Parkを歩いたときに日焼けした模様。鼻の先の皮がむけている。