あ、つながったなあ

昨日は結局Kleinのテクストを100ページ読んで17:30くらいに息切れ。やはり昨日の睡眠不足のせいか。PEPから11インチのMacBook Airにdownloadして読むのはちょっと疲れる。フラットにあるMacBook Proを導入するか。だがしかし、この疲労の甲斐あって、また進行中のプロジェクトにとって非常に大切なtextual proofと遭遇。Alix が1924年にKleinのlectureをベルリンで聞いて深く感銘を受けて、その結果1925年に連続lectureをarrangeすることになり、それはAlix自身によって英訳をされ昨日触れた1932年出版の著作の前半に収録されることになるのだが、そのなかでKleinがanal-sadismをmelancholiaという観点から説明した症例があるのだが、そこで(当然と言えば当然なのだが)Abrahamおよびその先行研究である2人のDutch analystsが注で参照されるばかりか、小生が先日のwork-in-progress paperで引用した箇所がそのまま引用されている。ということは1924年にAlix がAbrahamに分析を受けて(この分析に彼女は執着をしている)、Kleinの理論に衝撃を受けたその事実を説明をする背景として、小生の仮説がmore validになったということになる。つまりJohn Forrester の慧眼が見逃した1922年にIJPAに掲載されたAlixの自己分析における夢テクストにいわばretrospectiveあるいはretroactiveに新たな解釈を可能にする(同じことだが、その解釈がその後のAlix's attachment to Abraham as an analyst and faschination with Klein as a meta-psychologistを説明する)ようなinter-citational network of pesychoanalysis in the early 1920s especially concerning 'melancholia' and 'anal-sadism' とでも言うべき言説的な場をほぼ実証するようなnarrativeを紡げる材料がそろってきたということだ。さらに昨日も興奮をして夜眠れぬままKleinの伝記を再読をしていたら、このテーマをさらに傍証するような記述に出会う。それはKleinの娘で分析を母親から受けて溺愛を受けながらもその後その母親の仮借なき論敵となった(なんかやばい話だけれどもいかにも精神分析的な話ではある)Melitta SchmidebergのIJPAに最初に(1933年に)掲載された論文においてKleinに言及している箇所があるのだが、それは母子関係のambivalenceにおいて娘がKleinの理論に読んでしまうある要素を浮き彫りにしているもので、それはこの時代の精神分析の重要なテーマであるanal-sadistic melancholiaのちょっと凄みのある表象であり、先日Abrahamの件の論文を読んで小生が感嘆してしまった箇所と密接に関連するものでもある。というしだいで、まあ、ともかくつながってきたなあ。モントリオールまでにするべき重要な仕事は、期間限定でAlixの書簡の手稿@BLをチェックして、さらなるtextual proofを見つけることだ。これは来週後半くらいの仕事になるか。さらにこの資料をつかってthe M-D relationshipという精神分析的なdeadlockに関するahisitorical historicityまで行くのが最終目標。

今日は10:00からBL。ロンドンは朝からstormy weather。今日も寝不足のまま、まずはMelittaの論文のチェック。それから母親のテクスト。寝不足の朝なのでブログにちょっと逃避。これなら寝酒を復活してもいいかとか思う。