全体主義の時代における精神分析

標題のイヴェントに金土と出席。まず思ったのはこういう規模のロンドンのイヴェントに聞き手ではなく話し手として参加しないと本来はいけないなあ、みたいなことであったが、スピーカーのみなさんはロンドンで精神分析を勉強をしていればわかることだが大変高名な方々が多いので、これはいささか僭越な感想かもしれない。リンクでプログラムとペーパの梗概をご紹介したのでご覧になればわかると思うが、テーマとしては、アーレントフランクフルト学派フロイト左派、イギリスの福祉国家制度などなどで、小生の手薄な分野がかなりあり耳学問の域を出なかった(質問できなかった...なさけない)。感想から言えば、初日の最初のセッションのジャックリン・ロウズとリンジー・ストウンブリッジのアーレント精神分析という話が面白かったが、とても気合いの入った精密な読解をかなりの早口で読むものだったので、followに苦しんだ(せめて引用個所はパワポにしてほしかった)。5番目のサリー・アレグザンダーのウィニコットとイギリスの社会民主主義(NHSに代表される)という話はウィニコット論としては聞かせるものだったが、ドイツの全体主義に対してイギリスの社会民主主義(および福祉国家体制と自由主義)を少々手放しでポジティヴに語る議論でもあり、まあ国立学派のある方々がその場に入ればかなり厳しい介入があったかもしれない(例のロンドン五輪の開会式とつながるような「感情構造」があるのかしら)。つぎのビオン論はとても評判が良かったのだが、アクセントがあまりにきれいなので思わず寝てしまった(残念)。

最悪は「冷戦と精神分析」系の土曜日の話。これなども国立学派のある方々がおそらくは耳をそばだてるようなお題なのだが、話は結局のところ、第二次大戦中にアメリカの精神分析協会が、対独、対日の情報戦に協力をしていて(全体主義の国家の国民性に関するステレオタイプな分析なども含めて)、それが戦後のCIA、はてはオバマ政権が暴露した現代のアメリカ軍による捕虜虐待のテクニックにまでその系譜がつながる(笑)という「歴史的な事実」を論証したもの。まずは精神分析の定義が曖昧。「無意識」という用語が使用されているからといって、それがフロイトその人に関係があるとは限らないわけで。そんなことを言えば小生の身の回りの業界で「精神分析」と発話をされて、それが「精神分析」を意味していたことはほとんど一度もない、どうも、すいません(笑)。捕虜の尋問、はては虐待、拷問のテクニックに「無意識」という語が使用されたからといって、それにフロイトはなんの責任もないはず。対ファシズム、対イスラムというアメリカ政府の国家戦略にアメリカのユダヤ系の知的制度が「コラボ」していたということになるのだが、明らかにtendenciousだよね。発表者はなんだか(こういっては悪いが)ネオナチ系のスキンヘッドのドイツ人で(まあフーコーに転移している風でもあったが)、彼自身も認めるかなりドイツなまりがきつい英語であんな話をされると、やはりtendenciousなものを感じる。彼のパワポの最後は、CIAのエイジェント風の格好をしたフロイトカリカチュア(笑)で(彼の自作か)、これってある意味ではナチス政権下のドイツの新聞とか雑誌に出たフロイトカリカチュアと変わるところがないのではないか。アホくさ。

要所要所で話が下らなくなるとビシっと介入をしていたのはジャックリン・ロウズで、この発表にも厳しいコメントをしていた(「無意識」などという非常に複雑な精神分析の概念とこの話は別次元であるという話を彼女がしないといけないのは悲しいが、実際の介入とはそういうものだろう)。たまたま小生の真後ろの席に彼女は座っていたので、かなりすごい経験であった。またイギリスの精神分析を持ち上げて、「おフランス」の精神分析は...みたいなこれまたステレオタイプな話に落ちた時も、彼女はビシっとやはり介入をしていた。

DeeはRoseのゼミにも出ていたので、Roseのhelpでチケットを手に入れて参加ができたそうである。紹介してあげると言われたのだが、またなんだかまた逃げてしまった。しかし、この人の翻訳は急務だなあ。

聴衆の一人のイギリス人が「全体主義」の可能性なんてこの国にはないと発言して、アメリカ人が反論をしていたが、橋下なんてご仁が人気の日本から来た小生としては、ちょっと考えさせられた。なんだか、RWとサイードの対話のある部分を思い出したりもした。

追記:そうそう、「情動的転回」以後、フロイトは終わったとひたすら言募っていたアメリカからきたおばさんがいたが、やはりアメリカの「批評理論」ってあんなものなのかなあ。フロイトアメリカを軽蔑していたのもわかる気がする。こんなところの書かずにあそこで介入をしておくべきだった。

追記2:そういえば、ホロコーストとなるとユダヤ人の大量虐殺の話にばかりになるけれども、ジプシーについてなんで話をしないのか?とひたすら質問をしまくるおばさんもいたなあ。これって、サイードに、なんであんたの話にはパレスチナがよく出てくるのか。世界には難民はいくらでもいるではないか。みたいな質問だよね。と同時にあの会場にいると感じざるを得ないのは、精神分析批判にはやはりどこかanti-semitismみたいなものが漂っているということで、これはたんなる「批評理論」というレヴェルの話でない。