出勤が続く1月2月

ものもらいが腫れてきたのだが、期末試験の印刷をしなくてはいけないので、今日も吉祥寺に出勤。年末にお世話になった吉祥寺の眼科で今日は切開をしてもらうか。それから大学で雑用各種の予定。ともかくこれから1月くらいは入試なり会議なりでかなりの頻度の出勤率。紀要論文は終わったので当面は2月9日の名古屋方面での講演の準備。「モダニズム精神分析」というお題で50枚くらいの読み原稿をつくる予定。自身の仕事のイントロ的な要素をもった原稿にしようかとも。それが直近の仕事で読み直したり初めて読む研究書が数種類。いい復習かも。あとは翻訳とか。で、こういう本とか:

Remembering the Phallic Mother: Psychoanalysis, Modernism and the Fetish

Remembering the Phallic Mother: Psychoanalysis, Modernism and the Fetish

Subject to Delusions: Narcissism, Modernism, Gender (Avant-garde & Modernism Studies)

Subject to Delusions: Narcissism, Modernism, Gender (Avant-garde & Modernism Studies)

追記:結局昼過ぎに吉祥寺の眼科で切開。腫れ物の形状が突出型でそれが瞬きの度に眼球をこするというような苦痛に耐え切れずに。その後は大学に出勤。期末試験そのほかの業務で研究棟と教務間を5往復しているうちに日が暮れる。性格ならぬ毛髪が天然の小生のそれが小雨の湿気のためベートベン化してきてむしゃくしゃしてきたので、地元で散髪。しかし昨今の大学でオールランドに誠実に精勤していたら何かものを考えて何かを書こうという気力も体力も失せてしまうにちがいないと最近は実感。それでは困る。だって言いたいことはたくさんあるからね。直近の「専門」にしても「本場」においてだって研究は手薄だし、手近な業界では自分ではとても本質的なご提案として21世紀に人文学でまともにものを考えるのならば、少なくともその第一歩としてたとえば「理論」とか「文学」とか「歴史」とかいうような安易な隠喩をほんの一瞬でも良いから忘れてみませんか、みたいな趣旨の文章を割りと目立つところでとても腰を低くして書いていても、2次会あたりで相変わらずのからまれかただし。なにも業績の点数を増やそうとかその結果で栄転しようとかいうことではなくて(ということも全否定しませんが)大学の日本的な日常に埋没だけはしたくないけれども、いっそ人でなしになって会議に出ないという選択肢はいやだし、となるとものもらいとか口内炎とかくらいは我慢してがんばるしかないのですが、といいつつ大概は最近は電車でも研究室でも爆睡でして。あまり酒のんでないのがむしろいけないのかも。