文学と理論

昨日くらいから名古屋作戦用にこれを念のため再読:

Psychoanalysis,Psychiatry and Modernist Literature

Psychoanalysis,Psychiatry and Modernist Literature

精神分析モダニズム文学を同類のテクストとして読むという野暮な言い方をすれば新歴史主義以降のお作法に則った本なのだが、やはり精神分析のテクストを「理論」に還元してしまう傾向があると以前は思い『転回するモダン』ではその悪例として註に挙げたのだが、やはり念のため再読することにした。どうやら自分自身のこの方面でのウリは「文学」と「理論」という抽象化=隠喩化にいかにしてケンカを売るのか、具体的にはフロイトやクラインのテクストがウルフやマンスフィールドやエリオットと同じ主題を共有するばかりか同じ密度のテクスト性=文学性をいかなる言語的な強度=濃密=晦渋において有しているのかということを独自の精読で露にすること、これに尽きるということを重く再確認しなくてはいけない。言っていることがムズカシイとか抽象的過ぎるとかいういつものご批判はぼくにはそれこそ抽象的に響く、なぜならこういった問題はぼくにはこの上なくリアルであるから。生々しい問題であるから。その精読の実践においてはやれ新歴史主義がどうだとか批評理論がどうとかとかぼくには全然関係ない話だし、レオ・ベルサーニの読みに心底痺れるのはフロイトプルーストが同じ濃密さをもった「文学」であるということを知的=美的に感じさせてくれるから。(ぼくはプルーストフロイトをまったく同じ「文学」として愛す!ということを去年の早稲田でのお文学系オバサマにイヤミをたっぷりこめて申し上げたときはすっきりしたよねえ)。この水準の「精読」の現場において「死の欲動」とか「モダニズム」とか「20年代」とか「30年代」とか「パストラル」という問題系が抜き差しならない思想性を帯びてくる・・・とか勝手に思い込んでいる次第。だから2次会などでぼくに「理論」とか「歴史」とかいう隠喩を使っていくらからんでもいっこうに馬耳東風である。その点でやはり次の本たちは秀逸:

Why War?: Psychoanalysis, Politics and the Return to Melanie Klein (Bucknell Lectures in Literary Theory)

Why War?: Psychoanalysis, Politics and the Return to Melanie Klein (Bucknell Lectures in Literary Theory)

The Destructive Element

The Destructive Element

前者については先日三田の勉強会で1章をレクチャーさせてもらった。それについてはN井さんが簡潔かつ鋭利な報告をしてくれて感謝。じつは後者は前者の指導@クイーンメアリのもとのPhD論文がもとになっている。それにこの前挙げた次の本も秀逸:

Remembering the Phallic Mother: Psychoanalysis, Modernism and the Fetish

Remembering the Phallic Mother: Psychoanalysis, Modernism and the Fetish

この前三田でレクチャーしたロウズの議論でいけば「男根ママ」系統の幻想は家父長制の典型的なパラノイア的ファンタシーとなる(小雪の殴打というよりは回し蹴りを幻想する人などにはこの問題系は切実だろう・・・半分は冗談だけれども)。今年職場の出版企画で「ファンタジーと文学」という共著に論文を書くことになりそうだが、この辺で書くか(たぶん浮くけれども)。そうだベルサーニといえばこの本の前半はやはり秀逸(だけど後半のベンヤミン論は冴えなかった記憶がぬぐえない):

The Culture of Redemption

The Culture of Redemption

追記:昨日から読んでいる本、前回の印象のとおり退屈を極める。調べればいいというもんじゃないよ、という突っ込み以前にたいして調べてもいなし、知性にも文章にも切れというか覇気がない。しかしあした午後遅くの試験監督までというか午前中の眼科の待合室なので読んでしまわねば。悪しき先行研究としてイントロあたりであしらうことになるだろう。火曜は1時限から監督待機なので月曜晩は吉祥寺に宿泊予定。センター試験の前日に大学がとってくれた三鷹のホテルにするか、吉祥寺東急インにするか考慮中。このように吉祥寺に宿泊する小生にA部さん@本郷は不倫疑惑を抱いている。もしそうでないならばつまらないので、言いふらしてあげるという親切なご提案もあった。