読み原稿はいつもながらに結構大変

月曜日の名古屋方面作戦のための読み原稿を昨晩から。読み原稿は確かに論文の決定稿とはちがって文章の細部の手入れというかたとえば同じ言い回しを避けるとかそういった苦労はないけれども、耳で聞いてわかるように書くという苦労があるわけで、約1時間の講演だそうだから原稿用紙にして40枚程度を目指しながらどうにか半分の20枚を書いたところ。「理性」の暴力としての戦争というテーマを前景化してみたいという気がちょっと。レオ・ベルサーニ(『フロイト的身体』)が提起した問題系「理論と暴力」ということとも関連して。「理論」の「自己破壊」(の不断のプロセス)としての「昇華」=「死の欲動」ということ(あるいは「破綻の倫理」)。それと対照されるべき「理性」の暴力としての「戦争」。あまり講演向きなテーマではないけれどもね。死んだ村山さんからは「あんたは原稿を噛みながら読むよりもアドリブのほうが滑舌がよい」と言われたことがあるし、その自覚もあるけれど、原稿があるとその場所まで体を持っていくだけという安心感があり、いっぽうでレジュメを見ながらのアドリブだとそれがなくて心配になるのが嫌だということもある。後者だとその日の調子に左右されるし。ということであと20枚を未明くらいには完成するということで。

追記:うひゃ〜読み原稿の完成が午前4:05!!寝る時間がないぞ。新幹線で起きたら京都ということがないようにしないとヤバい。話としてはどうも講演向きではなくなってしまったけど、それは質疑応答でということで、とか。これは強力ユンケルのお世話にならないといけないだろうなあ。