日常業務への復帰

名古屋方面作戦終了後の昨日はアメリカのテレビの連続シリーズで偏愛があるものの第4シリーズが未見であったのでそれの第5話までを見ようとバーボンのロックなどを飲みながらくつろいでいたらいつのまにかうたた寝。目が覚めたらすでに夜が明けている気配。急いでベッドに入り昼前まで寝る。そのドラマとは:

なぜかベタな政治ものへの偏愛が。本当は政治家になりたいという欲望があるのかしら。あの『地獄の黙示録』のマーティン・シーンが米国大統領ということで。民主党リベラルという本人のままの役柄。

昼食の後たまっていた自宅的雑務を片付けているとあったいう間に17:00を過ぎる。これならば大学に寄らずに直接三鷹のホテルに行くことになるか。通勤の電車ではこれか:

Female Experience: Three Generations of British Women Psychoanalysts on Work With Women

Female Experience: Three Generations of British Women Psychoanalysts on Work With Women

この本、不覚にもミスっていた。『モダンの転回』に書いたエッセイでは参照すべきであったのだろう文献。いずれこのエッセイに手を入れるときのためにも。まあ、読んでみないと出来はわからないのだが。さらに次の海外雑誌投稿作戦のターゲットがジョウン・リヴィエールの可能性が高いのでその意味でも。むかし「日本で英文学やっていて「本場」の雑誌に1本も論文がないなんてだめだ、もし投稿したものが落ちたらこの商売やめようかと思った」と以前に述懐していたのは村山敏勝であった。村山さんのことだから当然ナイーヴな「海外派」の発言ではない。まっとうな職業意識の吐露だと思う。村山さんらしいザッハリッヒカイトというべきか。これはイデオロギーの問題ではないと思う。

例のイギリス文化史20世紀後半作戦に名古屋方面からI倉さんがご参戦くださることになりそう。この時期のイギリスをやるのに「音楽」のテクスト分析がなければしかたがないが、I倉さんの知識量とあの精密かつ才気あふれる読解の冴えがその方面を見事に制覇してくれるのではないかと期待大。

追記:上で少々イヤミなことを言ったのは、小生の経験上、自分には就職後英語の論文が1本もない人で学生の卒論の英語を攻撃的に酷評する輩が少なからず存在することを知っているからである。これは先輩のM馬さんの意見で大いに同意したのだが、ある程度の頻度で書いていないと英語の論文は英文学の先生だって書けないものである。もちろん英語の論文など書く必要がない程度に偉い人が例外的に少数存在することも承知していますがねえ。しかしやはりイヤミなコメントだ、われながら。