お約束のパパ像と空想癖

野球アニメの『メジャー』にハマっているのと、どうやら小生の野球好きが遺伝しているような息子と昼から近所の公園でキャッチボールとバッティング練習をする。保険会社のCMにぴったりのやさしいパパ像のまんまということで。しかしだんだん熱がはいってくると鬼コーチのような厳しさも出てくる。飽きてくるとおふざけモードになる保育園生を厳しく叱責、何事も集中して一生懸命にやらないやつはダメだ!というようなマッチョな説教も入りわれながらどうもね・・・。まあ運動が好きで活発なほうである。いまのところ文科系的な感じはまったくない。口はじつに達者だが。小生自身は小学校低学年のときはいささかLD気味で親や担任を心配させた。いま思うと小生にはかなり空想癖があったようでそれこそ教室の窓から偶然目にした或る風景がきっかけになって果てしなく想念が沸いてくるという感じであったので今でいうLDというのとは違うのだが、息子もかなりその類かも知れない。しばし放念する感じがある。小生の場合、この空想癖は成人性の妄想となっていまだに続き、日々長距離通勤の電車や徒歩などの途中あるいはエンドレスな教授会のときなどはさしずめダロウェイ夫人状態。中3か高1ではじめてウルフの『灯台へ』をたしか新潮文庫で読んだとき、そうだこれこそが小説だ!!と感じ入りうっすらと文学部へ行こうとか思った記憶もある(しかし大概は文庫本の解説を読んで大学の先生になど文学はわからんと憤慨し、その志望を変えたりもしていた。若い自分の生意気ってときに真理をつくことがあると中年になって確信したりして。まさに文庫本の解説風の論文を紀要なんぞに20数本書いて定年、というのが平均的な英文学の先生の・・・とかいうとネット的舌禍事件となりそうだが・・・すいません。しかしそういえば安東先生@三田がゼミの学生の発表を酷評するときのキメ台詞がこの「文庫本の解説みたいな話をするな!!」であったのだが)。しかし高2のころは政治学をやって新聞記者になろうかと妄想していた時期もある。そういえば高校では卒業論集の編集委員長となるが無能極まりないほかの委員と絶縁してひとりで独断先行、文語的な毒舌で歴代の編集委員および編集委員長の知性の欠如を完膚なきまでこき下ろす長文の巻頭言を書いて悦に入っているようなやつだった。或る記事ではまさに舌禍事件を起こし、武道系の級友に胸ぐらをつかまれることもあったなあ。ペンは剣より弱し、という次第で。一方で文芸部に所属し太宰風の句読点の少ない文章で女性一人称の小説を書いたりもしていたが。角川文庫の『女生徒』などは暗記するほど耽読した。文語的なマッチョな論争文と太宰風の女性一人称体を同時に書いていたわけで、われながらよくわからないテクスト的にクイアな高校時代であった。実践的な方面についてはあえて言及せず。

灯台へ (1956年) (新潮文庫)

灯台へ (1956年) (新潮文庫)

女生徒 (1968年) (角川文庫)

女生徒 (1968年) (角川文庫)

すいません。明日から東部戦線に戻ります。ヒットラーはそろそろ自決です。しかし仕事をしないで1日過ごすと、その日のエントリーはひどいことになる。自嘲。