細見本に突入

先日に申した細見本に突入。もし一読してよくわからないテクストがあればこのような密度と速度で読めばどうにか・・・というような妄想を与えてくれるような明晰さ。妄想とは自分自身の知力をしばし忘却させてくれるというほどの意味。しかし実際にド・マンとかレイモンド・ウィリアムズのテクストでは読書会という経験を経て同様の感触を得たことがあるし、フロイトの「喪とメランコリー」だったか英訳(標準版)を授業で精読してこれもまた通常の読解とは違った(より明晰に濃密な、あるいは濃密さを明晰に見えるような)風景が見えてきたこともある。フロイトのtextual strategyが手に取るように分かったかのような印象すらもあった。この授業とは「選択英語」@南大沢だったか。このコマ、あの黒眼鏡のT山先生が一番好まれた、かなり自由なことができる時間であった。来年の「文学講義」@池袋の後期には「時間性の修辞学」を少なくとも4週かけてレクチャーする予定。吉祥寺ではこういう野蛮な講義が困難である・・・。まあ小生は自身の教壇的な柔軟性にはそれなりの自信はあるのだが。細見本についてはたぶん明日くらいに読了か。といいつつ各種雑用が入りつつあって明日も同様。土曜日にはド・マンの復習もしなくては。例の翻訳の原注は残すところあと10頁以下なのだが。かなり漲ってきました。4月からはヒジョーに日本の大学の教員的な多忙をぬって仕事をしなくてはいけないので鬱になどなってたまるかい。