ディスカサントの方針がそろそろ

先日広告しておいたUTCP@駒場でのお仕事であるディスカッサントの方針がどうやら。ヴァージニア・ウルフにおける「エクリチュールと外傷」とでもいうべき問題に関する非常に高水準かつ極めて精密なラカン派による臨床的=文学的分析への反応として――「臨床医学とかその症例に文学を回収できない」とかいう文学部の教師得意のどこかで聞いた気もする紋切り型がまったく意味を失うような読解であるのだが――ウルフとの間テクスト性が濃厚なクライン的問題系を対置してみようという算段。だって腹先生を筆頭に超優秀なラカニアンが当日たくさんいらっしゃるだろうから、小生などがラカンの問題系についてたいして貢献できるわけはないからね。つまりクラインを導入することで、特にwriting and cannibalistic aggressionという問題系を導入し、writing and melancholia (melancholic identification/separation) という議論がどう発展するのかということでもある。これと原初的な分離/融合、それと密接に連関するéclatというラカンのプロブレマティークへどう繋がるかということ。もしかしたら、とても洗練されたラカン的読解を通じてクラインの問題系が鋭く逆照射されれば小生の肩の荷はおりるのだが。と、ディープな精神分析的読解に久しぶりに浸り、甚だ非研究系のことにいつのまにか最近頭が行きすぐていたことを反省。