久しぶりにクライン

Anne Juranville 教授のラカン的な精密極まりない読解にクライン的視点から応答するために先日ふれた論文を再読。むかし読んだときよりも理論的な「粗」が目に付くが、まあ行間は読むことはできるのでどうにか利用可能だろう。ロンドンで読んだテクストは初読ゆえの書き込み過剰にどうしようもなく疲労するので、真っ白な別の版で読んだりもする。そんなこんなで休みをすごしながら、気散じにとかいったらちょっとだが子供とキャッチボールなりオセロなりをしたりとか。幼児性のナルシシズムの典型みたいな性格が時に出るので、小学校に適応できないと困るから、仕方なく抑圧したりとかもする。まあ、人の顔色を読めるところもあるから、さして心配はないのだが。近所の野球チームには正式に入会することにして、ユニフォームを注文したりとかしていて、キャッチボールもどうにか形ができてくる。オセロは油断しているとこちらが負けることも。父親をやっているわけです。小生はゆえあって父親の記憶がほとんど皆無なので、引用すべき先行テクストがその分少ないというか希薄というか抽象的というか。

Selected Melanie Klein

Selected Melanie Klein

Moments of Being: Unpublished Autobiographical Writings (Harvest/Hbj Book)

Moments of Being: Unpublished Autobiographical Writings (Harvest/Hbj Book)

トッドから日本語版序文が送られてくる。短いが濃密でまたまた相変わらず訳しにくい文章。彼はかなりの文章家である。彼の英語を訳していて、なんというか論争風の英語散文の感じが分かった気もする。

木金に授業を入れてなければかなり連休が続くのだが今年はまさに木金に吉祥寺は入れているので、明日から社会復帰。早速4時限のあとには全学キョーム委員会がある。金曜は2時限と5時限なのでその間はかなり時間が取れる。しかしそろそろ4年生の卒論スパーヴィジョンというかチュートルアルというかつまり牛津風でも剣橋風でもいいのだがつまり時間が取られるな。5時限終了後にしてもらうか。

英語の迷惑メールに「ただで学位が取れる」風のものが来るのはどうしてか。英語で書いた論文が米国の論文検索エンジンに入ったからだろうか。小生、学位がないのでなんとなく気分が悪い。この件もすこし考え直さないといけないかもしれない。

さる知人からの連絡で某「左翼」系の出版社が言行不一致なことをしているらしいことを知る。経営者側の権力の濫用ということはひとごとではない:
http://www.kinyobi.co.jp/backnum/antenna/antenna_kiji.php?no=605