RWと熱唱的深夜とか

すでにid:shintakさんがご報告になっているがid:takashimuraさんのRWレクチャー@御茶ノ水に出席。久しぶりの御茶ノ水界隈、とくに医科歯科大のなんともファリックな白い巨塔的建築の威容に圧倒される。病気になっても金と権力があればまったくほかとは違う治療水準があるのだろうなあ、とかしばし感慨。

takashimuraさんのお話はこれまでのRW論のエッセンスともいうべきもの。近代の/という危機を思考=批評(critique)するための超越論的な系譜学ともいうべきRW解釈に賛同。たとえば「ギリシャ」とは事後的かつ遡及的に見出された超越論的な「起源」であって、それゆえに実証主義への根源的な批判=critiqueの契機となる。わかりやす(すぎる)言い方をすればいわばフロイトの「前エディプス」とかラカンの「リアル」と形式的に類比できるもの。それを踏まえたうえでベンヤミンの「歴史哲学」と並列できるもののそれと決定的に相違しもするRWの批評のあり方を語るための「交渉」という概念系の今後のさらなる練り上げを熱望します。ともかく感服。

レクチャーの後、芝居の練習場のような会場で車座になって酒宴。演劇関係の人たちと精神分析=文学関連の話をするととても話が通じる。身体と言語がまさにcriticalに交錯する場所にかかわる方々なので、わが同業者たちのある向きのように、「文学」とか「理論」とか「歴史」とかいう空々しい隠喩=想像的なものに批評を解消することがないとか、また筆禍。かなり優秀とされているひとの「あまりに文芸的な」ド・マン論にしばし嘆息したことなどを思ったり。ともかくtakashimura氏が自身の思考をさらすべき「外部」としてこの場所=試練を大切にするのも理解できるしだい。小生とかhidexi先生も7月にはここの「円卓会議」で若干のお話をすることに。じつは恐るべきKOの先輩とここで遭遇することにもなりそうでM的戦慄寸前。

翌朝は用事があるので終電間際にhidexi先生と退散。しかし空腹ゆえに日吉で串焼きなどを食す。その後帰宅のはずがなにゆえか(という白々しい自問)深夜の歌唱へ。この日先生の歌は絶好調。就中、SPEEDのWhite Loveはまさに白眉。先生の歌唱力とともにこの曲がじつに名曲であることにも感動。いや名曲である実際に。この曲と同時代に熱傷ならぬ熱唱あそばされていたかのMickey先生の振り付けを伴ったお姿というか身体などもしばし脳裏をよぎったり・・・。小生は、長らく嫉妬の対象であった『雪の華』の歌唱を試みる。hidexi先生から実戦に使用可との評価を頂戴する。したがって今後はshintak先生が仮想敵である。じつは先日ゼミの学生とカラオケに行き中森明菜の『セカンド・ラヴ』を彼女らがご存知でないことに隔世の感を催し、選曲のmoderniseの必要を痛感したゆえでもある。

shintak先生のお嬢様のことが心配。どうかお大事にしてください。