低空飛行

週末の名古屋でのロレンス協会はやはりお客さん意識が強くて存在感も希薄に黙って座っていたけれども、一度か二度した質問はちょっと辛口だったかもしれない。まあしかしこの種の知的な率直さがなければこの業界はやっていけないし、また辛口の質問をした対象はかなり刺激的な議論であった。こういう率直さがないとやはり研究会的組織は早晩ダメになるのが常だしね。夜の部ではおいしいものをたくさん。やはり名古屋はすばらしい。とくに鶏肉が旨かった。しかし、今週からずっとイヴェント続きだし仕事も山ほどあるので、まあお酒は控えめにしたことをいましみじみと良かったと思っている次第。ホテルで寝るのが零時、起きるのが8時過ぎというこちらではまったく考えれらない睡眠時間を確保。といいなかがら本日月曜日はいささか不調なので仕事部屋の掃除を念入りにしたりしてあまり仕事そのものは進まず。

そういえば関係しているMLでこんなイヴェントが。コピペしても問題なかろう:

►【関連イベント】シンポジウム「教養教育の危機と新たな人文学」

日時:2009年7月19日(日)13:00-17:00
場所:早稲田大学早稲田キャンパス)1号館301教室

1991年の大学設置基準の大綱化以降、日本の大学における教養(および語学)教育は、大学院重点化にともなう学士課程の再編(英語重視と職業教育ヘのシフト)によって大きく変化しました。しかしその結果として、学位の種類があまりに増え、大学において学ぶべき「ディシプリン」が見失われようとしています。「学士力」の養成、大学院定員の縮小、そしてつい先ごろの職業訓練型の「新大学」と、中教審は次々に大胆な提言を行なっていますが、中世以来の大学の歴史を参照せず、ほとんど場当たり的なそれらは、「教養教育の危機」をさらに深めるもののようにしか思えません。

『哲学と大学』(未来社)と『市場化する大学と教養教育の危機』(洛北出版)という、注目すべき二冊の本が西山雄二氏と上垣豊氏の編集によって出版されました。アレゼール日本の会員でもある二人が、教養教育の現状と新たな人文学の可能性について語ります。

13:00-13:50
第1部 クリストフ・シャルルによるボローニャ・プロセス批判
司会:大前敦巳(上越教育大学)
発表:白鳥義彦(神戸大学)あるいは岡山茂(早稲田大学

EUでの高等教育改革「ボローニャ・プロセス」を概観し、この改革を批判するアレゼール・フランスの論客クリストフ・シャルルの主張に即して改革の是非を考察します。

14:00-17:00
第2部 教養教育の危機と新たな人文学 
司会:中村征樹(大阪大学
発表:上垣豊(龍谷大学)、西山雄二(東京大学UTCP)

『市場化する大学と教養教育の危機』(洛北出版)と『哲学と大学』(未来社)をもとに、教養教育や人文学の現状と展望について議論します。

使用言語:日本語 入場無料、事前登録不要
主催:アレゼール日本(高等教育と研究の現在を考える会)

http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/events/2009/07/related_events_the_crisis_of_l/

追記:専任職を得たばかりのある方のブログには壮絶なまでに多忙でストレスフルな日常が綴られている。その方がその方の先輩からのアドヴァイスとして「仕事から離れる日常」ということをおっしゃている。なるほど。小生の多忙などその方と比較するとたいしたことはないが最近は歳のせいか明らかに過労気味。とても疲れている。なんだか目の調子も悪いし。なので最近は「えい、もう寝ちゃえ」と寝てしまうことがあるが(それも寝酒抜きでというか小生家ではあまり飲まない)そうするとやはり少しは元気が戻る。それと少しばかり業界的に付き合いが良すぎるのかもしれない(妙に付き合いが良いのは小学校以来の性癖だ・・・う〜ん、名古屋では元気をもらえなかったなあ、いろいろこの業界の行く末についての感慨はいくつかもったが、こんどの駒場での狼もきっと同じようなことになるだろうなあ)。この辺も少しはどうにかしないといけないだろう。もう歳だし。律儀を装って「若手育成」とか言う方々がじつは「若手」にとって迷惑千万であるという事実はここで強調しておく必要があるだろう。その一方でご依頼された機会で自分のそうでなければ漠然たるままであったであろう考えが纏まったり形がついたりすることも多々あるのでこの辺もっと選択的にするということか。疲労と緊張の果ての鬱というのが一番怖い。今日の昼に鬱とその最悪と通常は目される結果との因果関係についてのよくできたNHKのドキュメントを見てしまったが、その番組の一貫した主題(その結果の回避)を必ずしも説得的に感じなかったのはわれながらヤバい。