ベッカムのように歪む

2時限の「国際社会セミナー」のポストコロニアル講義のしめとして件の映画についての学生の発表。学生たちが割りとステレオタイプな発表をするので、このさい刺激を与えようとこの映画のクイア性について少々。この映画におけるジェスパパとコーチとのセジウィック的な「絆」について話をしたりする。「めでたく」ジェスがアメリカに行った(エンディング)あとで数秒挿入される場面で、ジェスパパとコーチが嬉々としてクリケットに戯れるところなどは、ホモ/セクシュアリティといった差異をみごとに解消したかのようなエンディングがまさに解消し切れない残余として見えてくるとか、セジウィック的「媒介」としてのジェスとか、明らかに「女性化」されたコーチと男性性を露骨に体現するインド人男とか、二人のナラティヴを逸脱する「まなざし」合い=愛とか。そんな風に読むと、原題のBend it Like BeckhamのBend itの比喩性とかスキンヘッドでピアスのベッカムのアイコン性(まさにlike Beckham)とかも気になってくるとか。こういう話をすると目が輝いてくる学生が17人/20人、残り3人は露骨なホモフォビア的感じ。後者の学生さんへの教育効果も考え、この映画の主題のひとつ、つまり文化的な差異を超えるグローバル資本主義およびあられもないヘテロセクシズム(エスニシティを超えたロンドンのイケイケねいちゃんのセクシュアリティ)とかの話をすると、表情が少々変わったりもする。