そろそろ本格的なpublicityをしないと

ジュリエット、というよりはJuliet Flower MacCannell教授から、11月14日のワークショップ用のファイルが届く。タイトルは The Writing Ego: Woolf, Joyce and the Feminie Subjectラカンジョイス読解を基本的な視点として、例の「性別化」とか「ララング」とか「サントム」とかが問題となるが、とても親切な議論にもなっていて、ラカンとか精神分析にそれほどエクスパートな知識がなくても分かる内容になっていますので、どうか皆さんいらしてください。特に被/植民地的主体とエクリチュールという視点と精神分析が絡み合い、ジョイスとウルフの差異が極めて刺激的な形で浮き彫りにもなっています。まあ図式的にいえば、精神分析ポストコロニアルが交錯する地点で、ウルフとジョイスの差異がエクリチュールと享楽という点から鮮明になるという感じもする。respondentをお願いしたN山さんの守備範囲にどハマりだし。むしろ面白いなあと思ったのは、従来ウルフのエクリチュールの女性性を言祝いできた北米はおもに80年代のフェミニズム読解の政治的無意識が端無くも見えてくるところで、無論この批評言説はラカンを代表とする精神分析の男根性を弾劾していたのであって、まあ取り急ぎのお返事に:Your Lacanian comparison of Joyce and Woolf--especially in terms of writing and/or jouissance--implies a great deal; of particular interest for me is that your reading is effectively suggestive of the political unconscious of those "feminist" critics who have privileged and romanticized the femininity of Woolf's language since the 1980s....と書いたりもした次第。事前にファイルを転送したり当日原稿のコピーを配布してよいかを確認中なので、それが決まり次第、各種MLなどで宣伝しますので、ぜひ11月14日は空けておいてください。

追記:本日あさいちで近所の整形外科に行きレントゲンをとってもらったところ、長年の姿勢の悪さから頚椎が歪んでいるそうで、要治療とのこと。しばらく定期的にリハビリに行かなくてはいけなくなったが、まあ原因が判明したので安堵も。最悪は間接リューマチを素人診断で懸念していたので、それよりはずっとcurableだからよかったとも言える。薬をもらったので少々楽にもなる。やはり鍼灸は治療の最終審級ではなかったわけで、やはり本務先からいって整形外科が正解というところか。