ブレジネフ的ユートピア

以前から気になっていた佐藤優氏の一連の著作をアマゾンでまとめて購入しつついくらなんでもこのような非常事態では読み始めるのはすぐには無理かと思っていたのですが(マジでこの体調なら14日のオーガナイズ兼ディスカサントは無理かもとか弱気になっているのですが・・・)しかしながら、首の圧倒的な違和感を電車の中で耐えつつ次の本を対談ということもあり瞬く間に読了してしまう。困ったものだ。ほかにやるべきことが山ほどあるぞ:

ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623)

ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623)

じつは小生は小学生時代にソ連という国家に入れあげた時期がある。まあ家庭環境が制度的な左翼といってよいような感じであったということもあるのだが母親などはさすがにスターリン以後であるから常識的なソヴィエト共産党批判をしていて息子のソ連熱を抑圧さえしていた。子供心にソ連に魅力を感じていたのは「鉄のカーテン」の向こう側という情報不足から来る神秘化と同時に、やはり共産主義的なゆるい平等というか牧歌的な共同体的な平等というかそんな感じに、その年齢でそれなりに感じていた社会的不平等に対する義憤というか疑問のしかるべき解決をみていて、ともかくロマンティックにかつ情緒的にソヴィエト型の社会というか共同体を美化しひたすらに憧れていた時期があった。ソ連に行きたくて仕方がなかった。実際にミュンヘン五輪の際にオルガ・コルブトといったソ連の女子体操の選手に同じく入れあげて100枚の小説さえ書いてしまったことがある。小生ロマンティックな共産主義にひどく美学的な脆弱性を抱えていて、それは小学校から基本的にいまも変わらない。

小生が夢想したゆる〜いソ連型のユートピア――「甘い腐臭」「休暇とウオッカ」(1日3時間働けばそれですみ、夏の休暇は2ヶ月)――がブレジネフ時代の意図的な愚民政策として実際に小生がソ連にひたすらな片思いをしていた同時代にほぼ小生が夢想した通りにありえていたことがこの本の前半で強調され、佐藤氏も亀山氏もそれへの郷愁を(in spite of everything) 隠していないことに一驚を喫したのと同時に、へへへやはり大人の言うことよりも子供の直感のほうが正鵠を得ていることもあるし、ソ連を愛していたなどと口が裂けてもいえないのはあの頃もいまもそういえば変わらないわけである。実際その小学校時代のソ連熱は中学校時代のロシア(文学)熱へと自然に移動したわけで、いまでもロシアを中心としたスラブ諸国へいってみたい憧憬は変わらない。といいながらチェコ人の大ロシアへの生理的な恐怖なんて話もこの本にはつまびらかであるが。