11月14日の宣伝、あるいは精神分析とポストコロニアル
11月14日の宣伝をまずはここでします。作成したポスターにあるように、英語圏のラカン派精神分析が文学・文化研究において発揮すべき批評的な可能性(これは日本の英文学研究の苦手分野ではないでしょうか?)が特に見えてくる機会になるのでは、と大いに期待できます。
日本英文学会関東支部主催ワークショップのご案内
【日時】:2009年11月14日(土)午後2時〜5時
【場所】:成蹊大学10号館2階大会議室
【講師】:Juliet Flower MacCannell
(カリフォルニア大学アーヴァイン校名誉教授)
【演題】:The Writing Ego: Woolf, Joyce and the Feminine Subject
【司会 兼 ディスカサント】:遠藤 不比人(成蹊大学)
【ディスカサント】:中山徹(一橋大学)要旨
ラカンのジョイス読解を手がかりにしながら、ジョイスとウルフの「書く自我」を比較します。そこに見えてくる精神分析的な差異は、歴史/政治を媒介に「アイルランド/イングランド」あるいはより大きな次元としてポストコロニアル的な諸問題に結びつきます。つまり精神分析的な「自我」が帯びる歴史性/政治性が、ジョイスとウルフの読解を通じて、鮮明に浮上してくる極めて刺激的な論考になっています。またこの問題系において「エクリチュール」と「享楽」という精神分析的な視点が歴史化・政治化される現場を目にすることができるでしょう。ディスカサントの中山徹さんはスラヴォイ・ジジェクあるいはジュアン・コプチェクなどの優れた翻訳者でもあり、当日は英語圏のラカン派精神分析が文学・文化研究において発揮し得る批評的なポテンシャル――これは日本の英文学研究の苦手分野ではないでしょうか?!――の一端が明らかになるでしょう。なおご紹介するまでもなくマッカネル教授はジジェク、コプチェクと並び英語圏におけるラカン派の理論家として代表的な存在です。
どうぞみなさまぜひお越しください。
追記:私自身はShrinking Islandの議論をこの問題系に接続して『波』における拡散/収縮というテーマ系とウルフの言語におけるクライン的なものの再外傷化みたいなレスをしてみようかなみたいな予定ですが、多忙と体調不良でさてどうなるでしょうかねえ。しかしわれながらよく働くよね。
A Shrinking Island: Modernism and National Culture in England
- 作者: Jed Esty
- 出版社/メーカー: Princeton University Press
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追記2:そうこうしていると親学会の大会準備委員会関連の査読が始まるようで・・・しかし無慈悲なスケジュールですなあ。やはり健康第一です。頭と性格は悪くても体力頼みにやってきたツケがいよいよ回ってきたのかしら。しかし一時は飲み過ぎだったしなあ。肝臓は大丈夫でも首に来たか。たしかに目をつぶった瞬間に深い深い眠りに吸い込まれていく昼寝の感じは凄かったし、その分首の負担があったということか。しかし頚椎が歪むとはね。そのうち頭の健康がだめになるかもしれないぜ。