どうにか乗り切ったか

すでにid:shintakさんたちがご報告し始めていらっしゃるが14日のイヴェントをどうにか乗り切る。基本的な体調不良に加えて9日から13日にかけて吉祥寺では怒涛のような会議の連続(水曜の教授会は6時間を突破!)のためシムポの準備は水曜はいくらなんでも無理だが、ほかの日は19:00〜22:30とかに研究室で各種業務の終了後にする羽目に。それで帰宅は24:00くらいでそれから夕食で入浴。翌日は7時起床で、8時から2時間は授業の予習というような生活なのでリハビリは断念したので、首の調子は悪くなったり。つまり根本的な準備不足だったところ、N山さんに大いに助けられる。N山さんのペイパーはまさに「中山節」炸裂で、ジョイスラカン的な「享楽」の話をしながら隣のマッケネルさんが哄笑しまくるという非常にそれに相応しいお話であるのと同時に知的には当然ブリリアント極まりない。その点小生の方のクラインの話は準備不足が否めない。「享楽」をめぐってクライン⇔ラカンの交通についてもっと突っ込んだ話がしたいのだが、それに付随してイギリスの精神分析の先駆性の話もハイレヴェルでしたいのだが、こんな生活では数年後のロンドンを予定しているサバちゃんまでは無理だろうか。生活について根本から考え直さないといけない。また「精神分析と歴史」という視点の導入についても中途半端ではないかと懇親会の席でshintakさんの鋭すぎるご指摘が胸あるいは首に刺さる。はい、そのとおりでした。

マッカネルさんのペイパーはかなりわかりやすくしてもらったものの、やはり「ラカンラカン」してしまうわけだから、通常の英文学研究者にとっては might sound a little bit too esotetic になるのではないかと危惧して、それを安易な「歴史化=政治化」ではない水準でフロアに開いていき、ラディカルな政治思想としてのラカンという点、その理論的=政治的可能性を少しでも探求してみたいとか思っていたのだが、フロアの方々からの反応のお陰でその目的はかなり達成できたかもしれない。マッカネルさんの引用する「出来事=経験」のアウラがそれを引き起こしてくれた。その空気を導入してくれたN井さんの介入に感謝。shintakさんへ私信でも書いたのだが「ご指摘のとおり、世の中には精神分析的な「出来事=経験」に満ち溢れているのに、それを共同体化=批評理論化=カルスタ化=歴史化することへの強力な介入が「ラカン」ということになるのでしょうか」ということになり、それって『レイモンド・ウィリアムズ研究』の「討議」で言ったことと同じである。

シムポの1時間前に来ていただいたのでそのときとか懇親会のときにもいろいろとお話ができた。たとえばド・マンの話とかも。私としてはド・マン的な「物質性」とラカンフロイト的なそれとの(非)関連性についてももうすこし突っ込んだ議論をパネルでもしたかったが、これもパネルがesotericな方面に暴走してもいけないので自制したりとか。

またあの腹さんが来てくださり、このうえないエクスパートな質問をいただき、これもよかった。私の「性別化の図式」理解ではマッカネルさんの議論の射程を把握しきれないのだが、またラカンジョイス読解のセミネールが英訳されていないので未読という情けない体たらくなのだが、腹さんのご質問の行間からマッカネルさんの話の射程をどうにか把握しようとしたりもした。

懇親会の席が妙に低いソファーでテーブルが妙に幅が広くマッカネルさんとお話をするのに不自然な姿勢を強いられて首と肩の疼痛が襲ってくる。そんななかでもtakashimuraさんとshintakさんとマッカネルさんとの会話を聞いているとお二人が非常に鋭いインタヴューをしているので、刺激的な話題が満載でそんな疼痛もだいぶ忘れることができた。帰りの井の頭線でご一緒だったtakashimuraさんとも「経験」と「批評」についてのお話ができて、ズンズンと刺激をもらう。仕事をする意欲が沸いてきもする。

しかし本日日曜日は少々脱力。やはり外国語でのchairは疲労の度合いが違うのか。しかし親学会の仕事そのほかの原稿とか各種仕事はこれまた満載で・・・。まあリハビリかたがたどうにかいたします。

追記:そういえばパネルでの議論のときに精神分析唯物論性とド・マン的物質性との差異について語り、それがド・マンがテクストのlibidinal aspectsを語ることをcannot help but avoidしてしまう重要な理由のひとつではないかといってみたところ、マッカネルさんが「うん」と深く頷いたのが印象に残った。

追記2:なによりもマッカネルさんがquestion and answer sessionを楽しんでいた感じが隣にいて伝わってきたのがよかった。shintakさんの「68年」と「反革命」とラカンとか、GaelicからWelshへ話をつなげたtakashimuraさんの質問に対するマッカネルさんの反応の質はchairをしていてなかなかの醍醐味もあり、それを懇親会でのリラックスした空気のなか続けることができて、いやいやかなりワークショップうまくいったのでは、という自己評価が徐々にしてくるのは単に自己満足かしら。