山越え谷越え

相変わらず続く怒涛の会議のなか次の仕事の準備とかを細々と。そんななかジュリエットからお礼の返事が来る。リップ・サーヴィスではなくとてもあのワークショップの「知的水準」を楽しんだということである。これもご出席の皆様のお陰であります。また再会をということであるが、あのペンシルヴェニア企画も完全になくなったわけでもないようなので、近いうちにお会いできる可能性もあるし、日本で精神分析系のイヴェントをやる可能性もあるので、その際にもという気がいましている。私としてはすでにお気づきの方もあるだろうけれども、なんとまあMacCannellという発音を終始一貫間違っていたことを謝る(すいませんでした!)。これに対してもとてもユーモアのあるお返事をいただく(二重にすいません!)。それに小生の読み原稿の中にも目を疑うような間違い(単数・複数系の)があり、やはり非常時の中での急いだ準備のボロがでた形。この失態で昔のことを思い出す。小生が学部生のときにKOがFrank Kermodeを呼んだことがあって、当然のことながら司会は安東伸介先生。安東先生はかの地にあってもそのimpeccable accentが伝説になるような先生で、最近では斎藤兆史先生のご著書にもそれが触れられている。その時小生は録音係りを拝命し、いまでもそのテープが手元にあって安東先生の見事な発音に感心したりもする(どうも英語帝国主義的エントリーですいません)。その安東先生がこれも終始一貫してKermodeという発音の際に後ろのシラブルの二重母音をいかにもブリティッシュ風の曖昧母音を入れて発音されていた。もちろんBBCの辞書などでお調べではあったようだ。その後の懇親会の席でたまたま小生がクソ生意気な学部生のへたくそな英語でKermode教授にバカ丸出しの質問なんぞをしていると、安東先生がいささか酩酊されてこちらにいらっしゃり件のKermode教授のfamily nameの発音が正しかったのかどうかお聞きになった際のKermodeの反応がじつによかった。とても恥ずかしそうな表情をされてはにかむようにI think I'm Kermodeと前のシラブルにストレスを置いて答えていたことをいまさらながらに思い出したりもするが、安東先生と自分を暗に比較したりすること事態に小生の防衛的な厚顔無恥が露ではあるが。まったく恣意的に連想するとこれまで職業上「本場」からの幾多の大物教授にお会いしてきたが、ほぼ例外なくniceな印象があるのだが、数少ない例外はあの小説の勃興のイアン・ワット先生でこれも昔明治大学で英文学会があったとき確か講演をされたがその英語があまりにひどくてほぼ聞き取り不能、というのがその場の大多数の意見。つまり日本人の聞き取り能力をはるかに越えたひどい英語の発音であった。それにマイクをじつにおざなりに使用されつまりオーディエンス無視のスタイルとも受け取れる感じでもあった。それ以外にも滞在中の態度もなかなか見上げたものであったらしい。その後知ることになるのだが、この先生、戦時中にあの「戦場にかける橋」の史実の部分で旧日本軍の捕虜として虐待を受けていたわけで、日本人が嫌いであると公言していたことも知られている。しかしあのこととこのことはやはり繋がるのだろうか。まあすべて仄聞だから確かなことは分からないけれど・・・なんて会議の疲労で仕事から逃避のエントリです。

英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)

英語達人列伝―あっぱれ、日本人の英語 (中公新書)

注記:つまり安東先生がKermodeの後ろのシラブルにストレスを置いて発音されたという意味です。

注記2:イアン・ワット先生が日本人嫌いであると公言していたという証言がある某日本人で在米英文学者であった方の本には重大な事実誤認があるという指摘がかつてあったことを思い出す。まあやたら自分はサイードやジェイムソンと懇意であることが強調されていてあまり好印象がなかったが、この方も最近鬼籍に入られた。