やはり虚脱感

いくつかのお隣ブログで言及してくれているが例の解体社の公演も終わり今年の業務は事実上終了したのだが公演最終日の解体社の恒例の忘年会は予想以上に壮絶でしてともかく朝の8時まで飲みかつ語るわけでじつはその前日も日吉で朝の5時まで楽しく歌唱だったりしたものだから8時ちょっとまえからさすがに睡魔が絶えがたく退散したけれども睡魔がなければたぶん劇団の諸氏と昼近くまで飲みかつ語ることになっていたのはたぶん確実であったはずでともかくももしかしたら本業の業界よりもここの方々との方がかなり話が合うらしくそんなことをいえばそういえば本業の関係者からはときに敵意をこめて難解だの晦渋などと罵られることがあってそのたびにこんな単純明快なことを書いているのになんでそんな反応なのよそれに自分にとってはこのうえなくリアルなことを考えまた書いているつもりなのでそんな反応には憤りよりももっと深刻なこととして自分は場違いなところにいるのかしらとか訝ってしまうこともときにあって当惑するもののここ御茶ノ水のスタジオで公演のこととか演出のこととかそれと関連する様々なことを話していると自分のやっていることが無意味でなくてまたなんというか制度としての文学っていうのがじつに心地よいイメージの世界であってその点で言うのならば精神分析とかフロイトとかクラインなんてまさに異物中の異物であるのは当然過ぎる当然でしてこの心地よい退嬰的な快感原則の世界の免疫からしてアレルギーの対象になるのだけれどもたとえばユングなんかの世界はきっと歓迎されるのだろうなあやっぱりとかかなりの程度の悪意でもって想像しながらもその一方でチェ・ジウの女子高生姿を審美的でなく論理的に!許せなかったと小生の先日のエントリーをご覧になって小生に直接抗弁された某畏友にしみじみ申し上げたのは小生などもあくまで文章でもって麗々しくまたは白々しく非意味だとか共同体への回収とか――そういえばこの種の文脈でしばしば濫用されるこの回収っていう表現にゴミの回収を思い出すとどこかで書いていたこれも某畏友がいたっけなあ――軽く言い募ってしまうけれどもそれを実際にああいう解体社のような場でtake placeさせることの途方もない困難を内部から実感できたのはもちろんとても大切なことであって今後自分が書くものというか書き方がそれでもって変わっていくかも知れないとかちょっとばかり期待するけれどもまあ困ったことに仕事のほうは自分でも説明のつかぬ脱力感ないしは虚脱感からして年賀状も書く気力もわかずに年末の家事などをしながら呆けている次第。