健全な元旦

結局ナンシー本を――なにしろヘーゲルを本格的に勉強していないので理解は完全ではないものの――要所要所でビシビシ感じ入りながら年を越し、午前3時過ぎには目が疲れてきたのでお勉強を中断して、居間で朝まで生テレビを少々。司会の田原某はその粗雑過ぎる介入が売りであったが、結局のところは政治屋的な域をでないというか、非常に凡庸な意味で反知性的であり、ご本人が認めるようにテレビ屋であるのだが、番組出演の彼らが共有している偽の危機意識に関してはウチダ先生の言説がとりあえず有効だと思う・・・とかぼんやりかつうんざり妄想しながら4時過ぎには寝室。起床は9時半頃。お約束の正月料理を久保田を飲みながら。朝酒なのに不思議と酩酊しない。年賀状のお返しを書き投函する。それから、近所の八幡様へ初詣。家族全員「小吉」。小生、特に年初には妙な勘が働き、その年の運勢というか何をどうすべき/すべきではないというような空気を読める気がしていて、今年はともかく隠忍自重の1年であることを腹の底から感じている。数年前の正月などは、今年はともかくイケイケだぜ!という感じで実際そうであったし、赤坂から南大沢へ移動した年の正月などなぜかそのときお参りした京都のお宮でほとんど神秘的な体験に近いことがあり、そこに居合わせた知人はそういうことに非常に敏感な人で、だからそのことに小生と同時に気がつき口にし、その年のその移動についての予感めいたものをそのとき共有したりもした。そして実際に移動にもなった。今年はともかく地道に尖らず腐らず飽きずにこつこつ愚直系で。野蛮系方面も危険度が増しているみたいなのでともかく自重ということで。朝酒は旨かったけれどもなんとなく不健全な気がしてきて、正月に怠惰に肥満するのは小生のファシスト的素地からいってイヤなこともあり、いつものお定まりの散歩に出かける(約5キロを1時間半程度という軟弱なものだが、菊名というのは起伏のある地形でそれなりに有名なところで、いわば長崎みたいな地形であって、なかなかドラマチックな風景に遭遇し、また距離に比して運動にもなる)。自宅に戻ると子供が壁に向かって球を投げて捕球の練習をしているので、キャッチボールをしてやることに。1時間半はみっちりと自宅前の道路で。かみさんがその姿を録画し、夕食後テレビで再生。己が姿に絶句する。自分が見紛うなきオヤジであるという事実をあらためて突きつけられる・・・。時は残酷なり。これでも30代半ばまでは・・・。ということで少々贅沢なシャンパンで夕食後またナンシー本を朝近くまでか(しかしヘーゲル的否定性と精神分析が仲が良いことはまあ当たり前なんだけども)。

追記:3時近くで疲れてきたのでBSを見たら、次の番組が・・・:

天国の階段 DVD-BOX 1

天国の階段 DVD-BOX 1

このシリーズのチェ・ジウ、やはり美しくて、感動する。