やはり多忙でブログの更新など

火曜は池袋出講最後の日。吉祥寺の学務多忙で来年の出講を断腸の思い出で停止。試験のあとここ数年出席していた学部生や院生の数名とアイリッシュバーで打ち上げ。2割はお勉強の話、8割は(小生ゆえの)ばか話。しかし笑ってしまったのは、小生が講義中に「こ、こ、こ、ここで、テ、テ、テクストが、く、く、口ごもって、つ、つ、つまり、い、い、一種の、き、き、吃音状態に・・・」みたいな脱構築精神分析系の話をドモリながらしていると、ある学生は「吃音状態なのはあんただろ」というツッコミを入れたかったと言っていた。これには参った。

水曜は1時限からで会議も複数。18時からはゼミの一次志望を落ちた学生を集めて二次志望へまわすキョーム的作業があったのだが、そしてそれは当然小生の任務なのだが、そこにいる学生の大多数は小生が落とした学生なので「で、で、できれば、い、い、行きたくない、なんて・・・」と学科会議で呟くとなんとS河辺先生が代わりにやってくれることに。感謝します!と思った。

本日木曜は朝10時からやはり会議。古典的なシャルコーフロイト的現象に遭遇し「無残」とか思って傷つく。昼に終わったあと、S河辺先生、M脇先生、それにH比野さんと学部横断的に、大学正門前の店でランチをして、傷を癒したりとか。ドライカレーがなかなか。しばしの昼寝の後に仕事だ。

今日通勤の井の頭線で『関東英文学研究』掲載のshintakさんのエッセイを読む。すでにいくつか然るべき反応があるようだが、「やはりこのひとは重要な仕事をしているのだなあ」と再認識する。二重の意味でnecessaryな議論である。英文科の「危機」などと言いながら「文学」ではなくて「異文化コミュニケーション」みたいな空気が充満するこの業界においていまぜひ熟読されるべきエッセイである(極めて明晰に書かれているので熟読が暗示する読解の困難はないのだが)。同時にいまこそEnglishがworth doingであることをやはり再認識する。こんなことをこんなところで書くと「また仲間誉めかよ」というツッコミもあるのだろうが、このエッセイの議論を借用するならばconservative liberalism=new liberalismが一種の「サロン」と化して旧来からある封建的な階級を再構築している憾みがあるなかでは、この反応自体がなかなか多くを語っているのだが。