吉祥寺の研究会

なぜか7時頃まで眠れずに朝食後に寝てしまい昼頃起きてメールをみるとS河辺先生から研究会@吉祥寺へのお誘い:

CAPS プロジェクト「アメリカと暴力」第7回研究会のお
知らせ

成蹊大学アジア太平洋研究センター (CAPS) プロジェク
ト 「アメリカと暴力」では、第7回研究会を以下のと
おり開催することになりましたのでお知らせいたしま
す。

◇ 日時: 3月15日(月) 14:30-18:00
◇ 会場: 成蹊大学 10号館2階 第一中会議室

◇ 研究発表
菅原大一太 (嘉悦大学非常勤講師)
音響空間としての共同体: ゾラ・ニール・ハーストン
『彼らの目は神を見ていた』における距離感覚について

大串尚代 (慶応義塾大学文学部准教授)
「彼女は・・・するべきではなかった」のか?

      • Joyce Carol Oates, Rape: A Love Story を読む

ここしばらくRWの翻訳で苦しみ自宅で自閉していたので、予定を変えて出かけることに。ただ家事を済ませてからなので遅参し大串さんの発表から聞くことになる。大変刺激的な議論。Rapeをめぐる法的言語において通常は「主体化以前」と目される女が過剰に主体化される(抵抗の意志を明晰に持つ「主体」として)という点など目からうろこ。特にOatesのテクストにおいては集団によるgang-rapeとそれをめぐる法的言語が問題となるが、お話を聞いていてセジウィックの議論を思い出した。男の集団によるrapeはヘテロセクシズムがもっとも野蛮に露出している瞬間であるように見えるが、じつはその享楽の構造は一人の女を複数の男がrapeすることによるhomosocialな(潜在的にはhomosexualな)「絆」の濃密な強度によって支えられているというパラドクスがあるわけで、その際の女は単なる空虚な媒介であって主体どころか人格以前の非存在=欠如と化す。もしそうであるのならばこの享楽の構造は家父長的な共同体の起源=外傷のある水準における反復であり、定義上この起源=外傷を否認することによって家父長的共同体は成立することになる。この否認の症候は法的言語における一連の過剰――被害者女性のまさに過剰な主体化、rapeをめぐるこれも過剰に厳格で厳密な定義など――に見ることができるのかもしれず、ともかくもそこには起源=外傷を法的言語に回収することによる否認を読むべきなのだろう・・・とか思弁を弄したり。またアメリカ「建国」の起源=外傷たる「暴力」とrapeをめぐるアメリカの法的言語の関連についても無責任な感想を持ったりとか。Oatesのテクストの主筋は大文字の正義が不可能な公法から私法=リンチ=復讐というこれもアメリカ的主題に触れているというH比野さんの指摘にも納得し、イーストウッドの映画を思い出したりとか。

研究会のあとは吉祥寺東急9Fの豆腐屋。学魔とご一緒した土曜日のあと月曜日にもということに。美味であると皆がいい小生も同意。どうも最近心身とも不調で食欲がなく最後のご飯には箸をつけず。会は盛り上がり大串さんと長時間お話をするのは初めてだが、噂のとおり大変魅力的な話し手でいらっしゃる(MLAでスピヴァックをみて「勝新太郎みたい!」とおっしゃたのが真実であり、小生が三田時代にK内先生の演習で修士のときにやった発表を博士課程でもう一度やって、こっぴどく叱られたという武勇伝が真実であったことを互いに確認したりとか)。酒は生ビール1杯に節酒。たいして痛痒を感じない。飲酒による記憶喪失は依存症の前駆症状という説があるがその真偽はいかに。しかし自宅では入浴後に秋元優里を鑑賞しながらスパークリング・ワインの小瓶を飲んでしまった。しかし今後はかみさんとの晩酌に留め就寝前の酒は控えよう・・・とか。しかし水曜にはゼミの追い出しコンで学生と飲むことになり、ゼミのコアメンバーも記憶を無くすまで飲む面々だが、交通事故とかが怖いのですこし説教してやろう。

追記:うお〜、ついにみすずの翻訳のゲラが来た!!!3月は可能な限り蟄居しなければ。

追記2:これまで大串さんとはon speaking terms withであったと小生がいったらH比野さんが「それはおもに否定形で使うのですよ」と教えてくれた。研究社の例の活用辞典で調べたらその通りの例文が複数。無知を赤面する。