ほうほう新学期

ぼろぼろの3月から回復しつつ(本当か)新学期に突入。今日のおもな仕事はプレイスメント・テスト関連だがそれも昼前におわり、やけに腹が減ったのでコンビニでパスタ・サラダと納豆巻きを買って食べたら量が多かったのか急に睡魔が。なんと2時間ほど研究室で昼寝(ちなみに研究室には昼寝用のリクライニング・ソファが置いてある。この昼寝は小生の悪癖の一つでロンドン時代も滞在していた研究所でFuhito's napとからかわれていたっけなあ)。

明日の学科別ガイダンスでキョーム委員として単位の取り方とかカリキュラムのことを説明しなくてはいけないので『履修要綱』で予習をする。新カリは複雑なので少々ウンザリしたりとか。

そうこうするうちにかなり頭がすっきりしたので教科書プロジェクト用原稿のために論文を再読(以下の本におけるPat Thaneの`Visions of Gender in the Making of the British Welfare State: the Case of Women in the British Labour Party and Social Policy, 1906-1945'):

Maternity and Gender Policies: Women and the Rise of the European Welfare States, 18802-1950s

Maternity and Gender Policies: Women and the Rise of the European Welfare States, 18802-1950s

戦後の福祉国家体制がおもに「母=女」に関するものであり、その政策決定に多大な影響を持った労働党における女性の戦前の活動を素描したもの。

その一方で吉祥寺での研究プロジェクト用の準備もそろそろ本格化しなくてはいけないので次の本が最近の通勤の友:

三島由紀夫とフーコー“不在”の思考

三島由紀夫とフーコー“不在”の思考

半分ほど読んだが、小生のこれまでの三島論をかなり修正する必要が生じてきた。とくに「死の欲動」をめぐる議論では三島の「愚直さ」あるいは「昭和天皇」というシムボル、または「「何もない」という呟きに物質化した「不在」を連結すること」とか、大いに刺激を受ける。この著者のファンであったのでこれまでこれを未読であったことが少々残念。以下の本も当然読まなければならない(ファンというには未読が多いなあ):

天皇と倒錯―現代文学と共同体

天皇と倒錯―現代文学と共同体

ということで今日も研究室に8時半くらいまでか(帰宅は10時を過ぎるなあ)。