駒場のイヴェント

月曜は吉祥寺の5時限を終えて直接駒場へ。イヴェントの内容についてはすでにid:shintakさんが的確なコメントをしている。レクチャの内容としては面白かった。事前に腹先生@駒場から読み原稿のファイルを送ってもらい、質問を用意するようというご依頼の準備をして出かける。「死」を搾取する資本主義への抵抗の形式としてフロイト的な「死の欲動」が果たし得る政治的な可能性についてお尋ねしたが、直接的なお返事はなかったのが少々残念だった。私の質問はこの日の話にrelevantだと思ったのだけれども。会の後の飲み会でも彼が言う抵抗の形式としてのallegoryということとcontingencyという問題、あるいは a possible reference to de Manというような話をふったけれども、やはり直接的なお答えはなかった。ただ飲み屋でのおしゃべりは楽しかったが。この日は生K谷先生を拝見する機会となったが、これで二度目か。なんのことか分からないような曖昧な言い方をするけれども、飲み会の最終場面でなんとなくinstitutionalisationへの抵抗こそが「批評」であって、いつも少しだけせめては「ズレ」という違和感を意図的に生産してきたのが自分のこれまでの仕事だったのだなあ、とか思い、shintakさんとしみじみ同感し合ったり、その脈絡で9月のRW国際会議のことを語ったりとか。帰宅途中、また自由が丘のバーで3杯ほど。やはりアウェイだと酒量がコントロールができて良いが、不覚にもマスターと個人的な会話を交わしてしまい、人間関係の萌芽が。帰宅途中のバーでは希薄な人間関係が望ましいのに困ったものである。