Does violence eventually pay?

土曜日のある企画のための準備で自宅で読書をしている平和な日のはずが、錯乱系の非常勤の対応を電話で。要するに自身の要求を声高に怒鳴る電話で、こちらはひたすら官僚的な慇懃無礼でもって怒りを「昇華」しつつある種の快楽を感じながら(その段階で最低限度の外交関係を断絶する権限が私にはないのでやむなく)やはり別種の不愉快も感じる。その主張を通せばいわゆるゴネ得となるわけで、その選択肢はあり得ないと信じる。しかし別の意見が同僚の間で共有されている節がある。思えば吉祥寺に着任依頼、特に今年は同業者から恫喝される機会にとても恵まれている。この半年はその憂さを晴らすために愚かにも飲んだくれていた次第。Violence eventually paysというのが吉祥寺的な文化なのか、と半ば本気で考え始めている。「暴力」についていささかながら仕事をしている立場からして、かかる妥協は言行不一致になる。ともかくも怒号が日常的な職場というのは、なんとも精神が退廃する次第。

追記:と職場の愚痴をいいながらも、150人くらいの講義科目で「ニューリベ化した日本的ヘテロセクシズム」のレトリックについての話を熱心に聴いてくれる大学というのは職場としては恵まれているのだろう。ただ演習科目は人数を定員を超えて受け入れているので、教室変更とかいろいろとやりにくい。