超おいしすぎなロレンス協会@早稲田だった

前回のエントリーでの杞憂は杞憂だったしだいで、「情動」シムポのとくにSさん(id:ks169さん)のブリリアントなご議論に刺激を受ける。さすが秀才!という感じ。特にT.S.Eliotの"Tradition and Individual Talent"に関してfeelingにindividualによるsubjectivizeを読み、むしろemotionにそれに還元されないaffect的なものを読むことで、もっともpersonalな者こそが真にimpersonalになりうるというエリオット的なパラドクスのなかにラディカルな共同体論の可能性を示唆する議論であって、つまりはfeelingというのはその意味でaffectの個人化=共同体化ということになるから、あのエッセイにおけるorganic wholeは通常のベタな共同体ではないこともそれに密に関連してくる(あの外傷的な不可能性に駆動されるwholeとfeelingに還元し切れない過剰な残余としてのaffect的なものをどう接続すべきか、それが今後の問題だろうし、このようにエリオットのdepersonalization理論をaffectと絡めて読むなんてセンスが良すぎでほとんど嫉妬する)。さらにSさんはこの脈絡でRWのロレンス論から引用しているし、ほとんどわが意を得たり、という感じでもある。と同時にSさんはエリオットがあのエッセイでいうsurrender... a continual extinction of personalityということにpassionが内包するパラドクス(a complete passivity=a radical action)を指摘もする。Kermodeなんかがときに示唆するエリオットの初期のテクストにおける外傷性(高橋康成風にいえば「錯乱の瞬間」?)ということ。つまりあの伝統論とほぼ同時期に書かれた『ハムレット』との関連とか、とっても「ぼく的には超おいしいみたいな」議論であって深謝。というかそのテーマが前期の三田の英文学演習だし。

また司会した発表におけるロレンスの戦争詩における戦争の享楽化(自己と敵の決定不能性における男性ホモエロティシズムという享楽化)って、これもメチャおいしすぎ。12月に韓国でロレンスのペイパーを読むことになったから、このテーマでいこうかなあ。