人文学における精神分析の可能性

7月の最終周に表題のとおり「人文学における精神分析の可能性」をめぐるセミナーが原和之先生@駒場のorganiseでUTCPの企画で行われます。26日、27日、29日のうちで2日という日程です。ゲストはこのブログでおなじみのCharles Shepherdson (SUNY) と台湾で小生もお世話になったChaoyang Liao(National Taiwan University) です。使用言語は英語ですので英文系のみなさんのお越しをとても期待しています。日本の英文系の分野がほどよい歴史主義とカルスタが野合した制度的な英(米)文学研究という形にいつのまにか落ち着き、自称政治的介入がますます非政治(歴史)化し、その知的プレゼンスを急速に喪失しているなか、この分野を思想的に鍛え直すためには精神分析は大きなポテンシャルを有しているはずです(吉祥寺の中堅私大の英文科でもこのような鍛え直しによって個人的な集客力の増加を実感しています)。偏狭な(同時にリベラル・ヒューマニズムを教科書的に批判しながらもまさに19世紀ブルジョワジーのrespectabiltyを無意識に反復した)精神分析フォビアはたとえばアジアの英文系の分野をみると日本において顕著であって、いぜんどこかに書いた記憶もあるがそれと「政治」の隠蔽は密接な関係があるのだから、このような政治的言説の非政治性に自覚的になるためにも、このイヴェントの意味はとても大きいと思います。

追記:ドイツ、強すぎ!
追記2:在外の行き先としてケンブリッジの某コレッジとemailで交渉開始。visiting scholarshipならたぶん大丈夫そうだがvisiting fellowshipをまずは狙ってみるか。しかし海外の出ると日本の英文系における精神分析フォビアがやはり無意識の「政治=歴史」の回避であることを痛感する。