久々に標準版

来週の駒場のイヴェントへの備えとして"Beyond the Pleasure Principle" を久しぶりに例のStandard Editionで読了。論文を英語で書いたり翻訳したりするときなどにしばしば部分的に参照するのだが、通読するのはなんとロンドン以来のこと。頭と心の調子が相変わらず悪く、たかだか60ページ程度のこの論文の読了するのに日を跨いでしまった。ある家庭の事情から昨日から吉祥寺に宿泊で研究室での勉強であるが、自宅よりは集中できるかも。この論文精読すればするほど議論の錯綜ぶりに当惑するのだが、むかし『英語青年』のあるエッセイで、最近では例のみすずの翻訳の「訳者あとがき」でも書いたのだが、これを同時代の生物学的パラダイムに還元し切ることは無理で、むしろそれとの微細な差異(複数の)に、あるいはInstinktとTriebの差異(の記述の失敗)にこのテクストの「可能性の中心」があるのだろう。その意味で、この英訳がTriebをことごとくinstinctと訳しているのはやはり致命的な判断ミスであったなあ、と再度嘆息。前もこのブログで書いたけれどもジェイムズ・ストレイチーはフロイトのメタ心理学を単なる生物学主義とは峻別する程度の知的洗練があったのだがdriveという英語の名詞的用法がいまだ一般に馴染んでいないという理由からinstinctという訳語を採用した次第で:

Freud Standard Edition Volume

Freud Standard Edition Volume

ぼくが読んでいるのは、Hogarth版のハードカヴァーだけれども。