一仕事終了

某米国の学術雑誌のための査読を終了。これで2度目。よもや査読した論文の内容は口にできないが、とっても凡庸なのでいっぱい注文をつけてしまった。英語の間違いも多いのでこれはネイティヴではないなあ、と思って、論文の題目をググると、ほぼ同じ題目の口頭発表にヒットする。この論文のモトであることは確実。著者は米国のしかるべき大学でPhDを取得し、西海岸のそれなりの大学で准教授をやっていることまで判明。日本の英文学者として日ごろから心の底にわだかまっている非ネイティヴというコンプレックスからいって、これはなかなかに痛快な感じである。欣快の至り、とかいったら古すぎるか? いやはや、なかなかの欣快事であることは間違いない。この古い日本語は当然に敗戦という屈辱と連結しているはずだ。ここで隠れ右翼の面目躍如というところか。逆からいえば、この論文の著者が、自分の論文にいろいろといちゃもんをつけたのが非ネイティヴの日本人であることがわかったら、さだめし屈辱に感じるだろうなあ。論文のテーマも日本とはまったく無縁の作家のことだし、というかメチャクチャにキャノナイズされている某英国の作家に関する論文だし。最近ろくなことがなかったので、いやはや痛快である。