死の欲動と出来事

大義を忘れるな』から:

バディウがここで見逃しているのは、「死の欲動」とフロイトが名付けているものは、逆説的にもその名前とは正反対の意味を持つこと、この用語〔死の欲動〕によって不死性が精神分析の内部に出現したということである。つまり「死の欲動」とは、生と死の、発生と腐敗の(生物学的)循環を超えて残り続ける「不死の」衝動を、生の不気味な過剰を指し示す言葉なのだ。

(590頁)

もちろんエロスの(unheimlich)な過剰こそがタナトスなのだから、タナトスという用語は定義上脱構築的に無用であって、フロイトがこの語を使用しなかったのは、デュフレーヌが言うように弟子が先にこの語を使用し始めたというような伝記的=実証的な次元だけでは説明できない。

ということで、出来事と視差ということ。