こちらでも

ということで、こちらでも掲示板です。

いまこそレトリック分析(って「精読」ということです)、つまり文学研究の意義が問われているときです。

日本英文学会関東支部ワークショップ

原子力と文学」
 3.11の東日本大震災は、文字どおりに言葉を失う経験であるとともに、私たちの社会を考え直すことを強いる危機として、私たちに迫りました。そのような危機の中で、「文学に何ができるか」という問いが、幾度か耳にされました。本ワークショップは、そうした真摯な問いへの応答を試みるものです。
 今回の震災が、私たち生きのこった者たちの、社会全体の認識をなんらかの形で変えたことは、疑いを差し挟む余地はないものと思われます。こうした認識の変化は、文学研究が取り扱うべき問題、いやむしろ、文学研究こそが責任をもって取り扱うべき問題である、と言えはしないでしょうか?
 変化したのは、現在と未来の社会の認識にとどまりません。現在の危機は、いやおうもなく私たちの過去についての認識も一変させたはずです。
 その端的な一例が、原子力についての認識です。ワークショップ企画者は個人的に、東京電力福島第一原子力発電所の危機に直面するまで、原子力発電の存在を端的に言って忘れていました。冷戦後期にはまだあった、「核」への想像力が、原子力発電には適用されず、そこに「放射能」の危険と恐怖が見いだされることはなかったのです。個人的な悔悟と反省にさいなまれつつ、そこに生じた疑問とは、なぜ核兵器原子力発電に対する認識が、これほどまでに切断されてきたのか、ということでした。
 おそらくここには、「イデオロギー的なプロパガンダ」とは別に、まさに文学的な水準での忘却の作用が働いていたのではないか。本ワークショップは、この疑問をさまざまな角度から検証することをめざします。さらにはそこから、社会と文学はどのように変化し、文学研究はその変化にいかに貢献し、対応するのか、という問題に取り組む足がかりを得ることもめざします。
 犠牲者の弔いも十分になされたとはいえず、また被災者の生活も先が見えず、原子力発電所の危機も進行中である現在、このような企画は迂遠にすぎるように見えるかもしれません。しかし、そのような迂遠な作業は文学研究にしかなしえないものであり、その作業をいまここでしておくことは、あとから生まれてくる者たちに対して私たちの負う義務ではないでしょうか。これを、登壇者と参加者が共に考える、そのような場を設けたいと思います。

日時:2011年7月10日(日)13:00-

会場:成蹊大学10号館2F大会議室 (JR中央線吉祥寺駅よりバス5分・徒歩15分)

提案者:河野真太郎(一橋大学)・大貫隆史(関西学院大学)・杉本裕代(東京都市大学)・西亮太(一橋大学大学院博士課程)・山口菜穂子(明治大学兼任講師)
ゲスト:遠藤知弘氏(名古屋大学工学部・原子炉物理学(臨界安全))

入場無料・予約不要