アーカイヴ的な手応えが若干

リサーチ2日め。今日もMaida ValeのInstitute of Psychoanalysisの図書館へ。BLでかなり読んだJames Strachey関連の手紙がかなりの収穫か。というか読んでいるBoxはErnest Jones関連のもので、その中のStracheyとのやり取りが興味深い。イギリスで最初にフロイトに関心を示したもののspiritualismへの接近からその存在が軽視されることが多いMeyers周辺のCambridgeのサークルが、Stracheyの学部時代にあくまで知的に活況を呈していて、その刺激から1912年のフロイトの性欲(変態)論を読むことからStracheyは精神分析への関心を出発させていることがわかった。このabnormal psychologyへの関心からStracheyが最初に訳した『集団心理学』のなかの男性同性愛のフロイトの理論への結びつき、同時にその理論がそのままダ・ヴィンチ論のものであって、つまりあの男性同性愛における二重の自己同一化という構造が彼の初期の関心の中心をなしていることが明らかである。ここからは資料的裏付けはないのだが、兄のLyttonがその関心を共有したという推測はmore validになってくる。早速出版関連プロジェクトにこのリサーチが生きてきた。引用の際の著作権についてあのアーカイヴィストに聞いてみよう。StracheyもJonesもhandwiringは律儀な筆記体でほとんど解読可能で助かる。それにたいしてAlixのそれはかなり厳しい。しかしこの時代は僕たちの世代が中学で習ったあのペンマンシップそのままの筆記体なのだなあ。そういえば吉祥寺の同僚のイギリス人が学生にかなり厳しく筆記体で書くのがインテリであると教えているようだが、この反時代的な教育には好感を覚えなくもない。

JonesとRussellの往復書簡は期待したけれどもつまらなかった。なにか慇懃無礼に応酬という感じ。

むかしLeonard Woolfの自伝で読んだブルームズベリーの連中はある種の気取りからfamily nameで呼び合っていたということが手紙でもわかる(Dear Strachey, Dear Jones, Dear Russellという表現)。

今日はこれからA.A.Brill(ニューヨークの精神科医フロイトを最初に訳したのだが、けっこう翻訳がいい加減だった人)とStracheyの往復書簡を読む予定だが、このBrillの筆致はほとんど読解不能である。まあ半分くらいはタイプ原稿なのでそれを中心にするしかない。

初日に読んだFreudとRiviereの一連の往復書簡からFreudが彼女を翻訳者としても理論家としても多いに評価していることがわかるが、まあこれは既知の事柄か。

晩は在外でこちらに来ている同僚のイギリス女性史の先生のRussell Squareのフラットにお邪魔する。ほかのイギリス史の研究者が3名joinしてのパーティ。ワインを3本ほど持参するが、10ポンド程度のカリフォルニアが当たり。深夜まで楽しくすごす。かなりの確率でこのフラットを引き継ぐことになる。とても便利なところだなあ。

しかしあのアーカイヴィストの出勤が遅く、今日は12時半に来い、と言われて時間がもったいない。

追伸:それからSusan Isaacs関連のBoxも覗いてみたがかなりいけそう。ただし彼女の活字化されたテクストを調べないと仕方がないので、これは来年以降の仕事だ。彼女もRiviereもメタ心理学をきちんと理解した超優秀な分析家である。