軟離陸

ごく最近、英文学研究の制度的な歴史学化にそれなりに介入できたとか思っている仕事をした直後に(そんなことを過激に書いた英語論文もそろそろ出るのだが)、かっこ良く言えばそのような自分の仕事を生産的に批判(critique)したいというような一種弁証法マゾヒズム(?)から実証的な歴史系の場所に来てしまい、まあ帰国寸前くらいまでには真面目にリサーチしてそれなりの仕事ができればいいかなあ、とのんびり構えていたら、渡英ちょうど1月で ‘work in progress’ をやれと1週間前に言われて正直いって焦りまくった。しかし、どうにか関連するテーマをやっている歴史家が聞いてもinteresting enoughなnarrativeであったようで、ほっとしている。あとはどれだけarchive的なresearchができるかだなあ、ということでとりあえずはよかった。

英語で発表するときには義務として冒頭でつまらぬギャグで笑いを軽くとることにしていて、今回は ‘My ‘work in progress’ today is a kind of contradiction in terms because my project here in London has not so far progressed so much…but anyway let me start’ みたいなことを言ってpaperを読みだしたのだが、発表直後にSonuさんが ‘Your project has progressed’ とコメントを始め、彼のPhDの学生さん(共産主義時代の東欧の精神医学をやっているSaraとWilliam JamesをやっているSally…名前はちょっとちがったかなあ…James Stracheyの方は残念ながら病気で今日も欠席)も、そのコメントに「うん」とうなずきたくさん質問をしてくれる。Sonuさんはまずは最初にtechnicalな質問から始まり、やはり予想通りにFreudに批判的な立場から、小生の議論も、参照した歴史家John Forresterの議論もpsychoanalytical hermeneutic playみたいなことになっているのはちょっと気に入らないとおっしゃる(じっさいForresterの論文は、2003年のSonuさんの本がFreudの夢解釈の理論を19世紀の心理学に歴史化したことを一種の仮想敵にして、この理論がやはりstrikingly newであったことを論じるべく制度的な心理学系の立場にいたといってよいPear, Riversなどの非常にsingularな受容をFreudのtransferenceに関する理論を参照しながら鋭く読解したものであるが、小生の場合は精神分析をかならずしもメタ言語にしているのではなく(それを禁欲することでかえって逆説的に見えてくる精神分析的「経験」にじつは賭けているのだが、それはそれということで)、the language or symbolism of psychoanalysis in the early 20s, more specifically the rhetoric of the International Journal of Psycho-Analysisのa discursive productとしてAlixの夢を解釈したのだとdefendしたり、大戦直後のBloomsbury的な女性的な主体がその新たなsubjectivityとかsexualityをdescribeするのと同時にperformativeにそれらをself-produceあるいはself-fashionするために the new language of psychoanalysisがdid helpしたのだともdefendするが、どうにかconvincingであったよう。だが最終的には、出来る限り実証的に歴史化しながらも、この時期のthe mother-daughter relationshipのhistorical=universal=psychoanalytic dimensionを析出したいというような目論みがあったりもする。といいながら、この時期のこのテーマをめぐるdiscursive milieu とでも言うものを(疑似的に)「実感」するためには、まずは実証的にやらないと始まらないし、そういう欲望が強い。PhDの学生さんたちはSonuさんのこのコメントに刺激されて、逆に彼にたいして近代心理学を対象にしたhistoriography が完全にその対象からkeep aloofすることは可能なのだろうか、という質問を矢継ぎ早にする。かなり熱い議論がしばらく続くが、SonuさんからもPhDの学生さんからも色々とリサーチ上のアドヴァイスと内容に関するコメントをもらい助かる。彼らが歴史家としておっしゃるのは、このテーマは非常にinterestingであるが、母子関係をめぐるこのようなaffectとかsensibilityの変遷みたいなものの歴史というのはなかなかに難しくて、何人かこういうテーマで苦労している歴史家の話も聞く。たしかにこれからBLに中心的にあるAlix Stracheyの手稿、とくに母親への手紙などを読まなくてはいけないのだが、そのテクストに素直に彼女のambivalenceが出ているほど世の中甘くはない。しかし、まあ、ともかくこのテーマで1年間ロンドンでhistorical approachをする価値があることがわかってほっとしました。軟着陸ならぬ、軟離陸とでもいうか。畑違いはほんとうにしんどい。

1時間程度discussionが続きひとくぎりのところでSonuさんがtime for drink
だね、みたいなことをおっしゃり、彼らの行きつけのLeigh Street(Brunswick Centreと至近距離)にあるパブに行き、閉店まで飲む。そこで小生のEnglishのaccentがfluentだとほめられたりするが、そのようにほめられている間はまだまだ修行が足りぬわけで。畑違いのところであえて仕事をする緊張感がもたらす生産性に賭けているのだが、そのような表現はじつはかなり抽象的にかっこ良すぎて、実際は、51のおじさんだというのに、はじめて英文学会で発表するような院生のように緊張して、そのせいでせっかく練習したのにわれながらかなりひどい音が出ていたはずだし、酩酊してきた彼らが共通の話題についてかなり早いスピードで語り、周りの喧噪でその音が聞き取りにくくなってくると、小生の耳では彼らのtopicがわかる程度でほとんどfollowできなくなってくる。バブ代はぜんぶSonuさんが出してくれる。出そうとしたけれどもだめ。彼女らが言うには、Sonuはワインにparticularなので自分の好きなものを自分で選びたいからお金を出しているので、こちらから出すのはむずかしいとのこと。たしかに2本目にキャンティ、美味だったよね(たぶんそんなに高くはないはず)。

小生のpaperの前のヤスパース、あまり準備できなかったけれども面白かった。一種のexistential dialecticがclinical discourseのdriving forceとなっている感じ。そうコメントをするとSonuさんはその通りだがとおっしゃりながら、その点を実証的な臨床医学史の立場から批判もしていた。たしかにカルテのなどのアーカイヴを読みながら臨床の制度的な現場を医者と患者の関係から考えている医学史家の立場からすれば、小生のように「ヤスパース、なかなかイケてるじゃん」みたいなノリではないだろう。

今日からソウル方面作戦のためにpaperを書かなければならない。