いい展開であるのかな

今日も9:30からBLで、10日締め切りのソウル方面の原稿の推敲を地道に。Karataniへの参照を読み原稿では記憶だけでしていたので活字化する原稿では引用をきちんとして議論も少々細かくしたり。またWilliamsからの引用もかなり記憶だけでしていたのでこれも整備しないと。朝からの作業でちょっと一段落(ロンドン時間15:00)したのでこのエントリー。つめてやれば、約3日の作業とふんだ(明日の日曜日もやろうかなあ、天気悪いし)。しかし時間が経ってみると自分の英語の「あら」がやたら目につく。丁寧に時間をかけたつもりなのに。

そういえばJulietの責任編集のカリフォルニアのあの雑誌について問い合わせが数件あったのでURLなどを:

http://eha.no-ip.org/eHa/wiki/index.php?page=a%3A+the+journal+of+culture+and+the+unconscious

そんなこんなでこの作業をBLでしていると、James StracheyをやっているDeeから長文のメールが来る。とても貴重なアーカイヴ的な情報と、なんとMichael HolroydとPaul Levyに紹介してくれるとのこと。これはすごい展開になってきたのかもしれない。前者は近年イギリスで書かれた伝記としては最高峰と言われている(実際に凄いテクストである)Lytton Strachey伝の著者、後者はその書簡集の著者:

Lytton Strachey

Lytton Strachey

The Letters of Lytton Strachey

The Letters of Lytton Strachey

Strachey研究者の第一人者たちと言って良い人たちだ。ともかくAlixは大きな作品を残したのではなく、journalがあるわけでもなく、伝記的なアプローチは大変なのだが、それゆえに、小生の関心を聞いてもらい、work in progressないしはMontrealでの読み原稿をみてもらい、なにかsuggestionsをもらえればとても有益だろう。すこし興奮してきた。今回の在ロンドン、10年前のそれを超える生産性をもたらすかもしれない予感が(調子に乗るとろくなことはないので、愚直に真面目に勉強しよう)。ともかく今後数年の仕事の意義ある展開のためには、このprojectがこちらの査読付きの(できれば歴史系の)journalに掲載されなくてはだめだ。日本の英文学会でStracheyと言ったって誰も何も知らないから(ほんとうはイギリスのmodernity研究においてcrucial topicなのに、だってあのStandard Editionをぜんぶやった人たちなのだから)。

しかし自分の在外の日常をこんなに包み隠さず(恥ずかしいことまで含めて)洗いざらい誰に頼まれた訳でもないのにこと細かく綴っているのは、なんだかとても頭が悪いことのような気がしてきた。「真面目に勉強しよう」なんて決意表明も頭悪すぎ!という感じだが、ほんとうに頭が悪いのでしかたがない。

全然脈絡のない話だが、ロンドンと東京に行き帰りの飛行機で見た映画に『サッチャー』がそういえばあった。これも完全に食傷気味のメリル・ストリープの熱演というか「女優魂」にただただ拍手でパチパチという類の映像であった。けど、サッチャーのgirlhoodを演じた女優のちょっとpsychoticなまなざしにちょっとどきどきした。あの女優はだれなんだろう(gooぐればすぐわかるけれども)。メリル・ストリープといえば、このまえに道を歩いていたら、ドイツ人の男が二人、すごいハイピッチでドイツ語をしゃべている。それを聞いているとなんだかtraumaticな感じがする。なんだろうなあ、と思っていたが、ふと思いついたことが。ハイピッチのドイツ語って、小生のイメージの中では、スピルバーグの映画のナチの親衛隊のドイツ語と強く音声的に連想されてしまう。なんでメリル・ストリープなのかというと『ソフィーの選択』を思い出したから(どちらの子供を選ぶのかと親衛隊の将校が冷酷に言い放つ場面とか)。まあ『シンドラーのリスト』でもなんでもいいのだが、これってスピルバーグの音声的、映像的戦略のヘゲモニー効果ということなのだろうか(『ソフィーの選択』ってスピルバーグだったような気がするのだが)。

この前にどかんと肉を食べて寝酒が続いてから体重が元に戻ってきたのでここしばらく寝酒をひかえていたら体重がまた減ってきたので、今日は週末だしすこし油断をして、ちょっと高めのワインでも夜に飲もうかとか思う。