ベルリン、1924年

今日は朝からBL。the history of British psychoanalysisの復習のためにつぎの本の一部などを:

The British School of Psychoanalysis: The Independent Tradition

The British School of Psychoanalysis: The Independent Tradition

まあ知識を整理しておかないと。しばらく日本で勉強している暇がなかったから。この本の最終章のJuliet Mitchell 'The Question of Femininity and the theory of psychoanalysis'を今日中に読まないと。そういえばDeeは彼女と懇意らしい。そのうちに話ができるかもしれない。

吉祥寺の大学の研究助成課からメールが来て、海外研修中の教員が滞在地から100キロ以上離れた国で研究発表をする場合に、宿泊費も研究費から出ることになったそうである。つまり在外用の研修費には1日いくらかの出張費が含まれているので、これまではそれと抵触するので出なかったみたいだが、よかった。これでモントリオールのホテル代が出る。ソヌさんが宿泊するかなり高級なホテルをソヌさんから円が強いからということで薦められたが、外国にいると財政的な不安を潜在的に抱えているので、開催する大学の近くのreasonableで学会ということで値引きしてくれるところにする。

精神分析の歴史と言えば、昨日、フラットで寝る前にちょっとbiographical dateをチェックしようといろいろと本を眺めていたらいまさらながら気づいたことがあった。1924年というのはKleinの人生を変えた年、つまりAlix Stracheyと出会った年なのだが、その年ってHug-Hellmuthが分析をした甥に惨殺をされた年でもあり、またOtto RankがFreudから破門された年でもあった。また翌年の1925年にはBerlin SocietyでKleinを擁護していたKarl Abrahamが急逝している。Hug-Hellmuthの死によって子供の無意識を深く分析をすることが危険であるという認識が大陸の精神分析では常識化しつつあり、またbirth-traumaを強調するRankの議論は厳しく批判され、Kleinのpre-Oedipus論はRankの議論と五十歩百歩の危険な「異端」とされつつもあった。それにAbraham が死んだとなれば、Kleinの大陸での立つ瀬はなくなっていたはずである。そういったタイミングでロンドンから非常に精神分析に精通していたAlixがBerlinにやってきて、Alix自身の内的な葛藤(とくに母子関係)からKleinの理論に魅了され、それを契機に大陸からロンドンへKleinが移住するという流れは、なんというか「人生」を感じてしまった。たしかにやばいことが信じられないくらいに連続し、泣きっ面に蜂状態でほとんど絶望しているときなどに、ふと意想外の幸運が訪れるってことあるもんなあ、人生には。また人との遭遇って大きいからなあ。それには絶対にメゲないという根性が必要かもしれなくて、Alixが活写するところのKleinもすごい根性でメゲるどころか、バカみたいに楽観的である。よせばいいのに(とAlixは言っているのだが)1924年の暮れにわざわざ敵陣のViennaまで行ってProfessorの御前でpaperを読んだりしている。結果は完全な無視であったそうだが、小生も読んだことのあるWellcome Libraryにある未刊行のKleinのautobiographyではそのことは一言も触れられていない。逆に良いことが続いているときほど要警戒である。良い気になっているとひどいことになる場合が多いから。小生のここしばらくはこのphaseであると思う。一生懸命に愚直に勉強をしていたら最後に神様がほめてくれるみたいなチェーホフの芝居の最後のような殊勝な気持ちで日々暮らすことが大事かもしれない(『ワーニャ叔父さん』とか『三人姉妹』の結末はじつはかなり悲しいものだけれども)。まあ、Kleinのことに話を戻せば、Alixとの遭遇がなければ、分析家としてベルリンあたりで鳴かず飛ばずであっただろうから、その後の運命はほとんど必ずconcentration campであっただろう。Alix/Jamesの書簡の編集者の言ではこうなる:We possess no record of the fate that befall Alix’s less eminent acquaintances; but, since most of them were Jewish, we can be fairly certain what it was. Alixのこの時期の手紙を読んでいると戦後のあのベルリンを知的にも芸術的にも享受するher Jewish acquaintancesが何人もユーモラスに描かれているので、この文章には感慨深いものがある。同時にAlix/Jamesのanti-Semitismもかなりなものである。よくまあ、それであのpsychoanalytic Berlinのdead centreにいたものだなあ、と思う。彼らはそれにひどいracistでもあって、BerlinからLondonへの帰路、Jamesは船上で日本人(Javaneseと彼は綴る)の船員を目にするのだが、その描写は猿のそれである。まあそれはそれとしてthe Berlin in the 1920sというのはかなり文化史、思想史的に面白そうだなあと再確認。19世紀後半からイギリスの知的階級にとって知的(近代)言語の第一はドイツ語であったわけで、Joan Riviereもuniversity educationを受けていないが、ドイツ語は本国に留学に行ったりして本格的に若いときに勉強している。近現代英文学をやっているとドーヴァーを超えたフランス、大西洋を越えたアメリカとの関係は問題になるけれども、ドイツとの関係というのはなかなか注目されていないかもしれない。まあこれだけ多くの人間がやっているのに学問的空白ってあるからなあ、いっぱい。小生ももう10年若ければ、ドイツ語も本格的に勉強し直してとか思うが、50を超えたのでもうすこしrealisticなresearch projectを立てなければならない。