Melanie Klein in Berlin

昨日から標題の本を。これまで決定版と言われていたGrosskurthの伝記によると(あるいはそれが準拠した研究、それを準拠した研究にもよると)、Kleinはロンドンで認められるまでに臨床的な経験は乏しく、ほとんど自分の子供、同僚の子供しか分析していなかったというのが通説だった。これを信用していたので、例のAlixが感動したたとえばKleinのmaterialの豊かさについては、前者の誤解による誇張か、後者のはったり、ないしは臨床家としての天才的洞察(数をこなしていないのにdeep analysis的真理=心理に到達する)というようなnarattiveを漠然と紡いでいたのだが、この本によるとMelanie KleinはAbrahamとEitingonが創設したThe Berlin Polyclinicで非常に多くの患者を分析した経験豊かな分析家であった(1924年時点で)。この事実を実証的に証明した本ということになる。まあ、私のprojectはMelanie Klein研究というものではないので、この大部の本とどの程度お付き合いしてみればよいのか迷うところもあるが、いまのところ私のテーマにとって重要なAbraham→Kleinのラインをoral/anal sadism and early female sexuality (or the early mother-daughter relationship) といった点に焦点を当てた形でざっと上げておくという感じか。

かなり面白いのはchild analysisにおいてnegative transferenceはかなり危険なので(子供の無意識へのdeep analysisは危険ということと連動している)Anna Freudを始めとしてその点二の足を踏んでいたというか極めて消極的なスタンスであったわけで、結果、そのnegative transferenceをanalysisするのではなく(そこからは逃避する)それを子供のbad habitsと見なして、それをget rid ofするというような、つまりはanalysisがeducationとなってしまう傾向があるという話はこの時代の文脈がわかって勉強になる。Alixが何度もThat's not analysis but merely educationみたいな差異化をしていた内容がわかった。この点でさらに面白い指摘があって、なぜAnnaがこの子供のnegative transferenceに逃げ腰であったかというと、そこにはAnna's reluctance to express her own negative transference (feelings) about her fatherがあったからだというnarrativeが実証的に可能であるようで、そういえばJonesが、Annaを分析したのがProfessorであったことを知ってか知らずか、Annaのchild analysisへの消極性を彼女自身の分析が足りなかったせいではないかとFreudに手紙で言って、FreudがIs there anybody sufficiently analysed? At least Anna was analysed more sufficiently than youみたいなことを言ってキレぎみであったことなどに意味があることがわかった。

という次第でGrosskurthの伝記、日本に帰ったら翻訳をしようかと思っていたが、どうしようか迷ってきた。日本に帰るとどうせ時間がなくなるのだろうから、2冊目の本の出版に傾注して、翻訳は定年後にとか思ってしまう。

このようにいろいろと調べていると面白い事実が出てくるのだが、そんななかでAnna Freud関連でいうと、彼女はFreudの末っ子であったのだが、Freudはもう一人娘をできれば欲しがっていたそうで、じつは名前も決めていたみたいである。その名前とは、Sonnaであった。そう、アンナ・フロイトのつぎにゾンナ・フロイト? つまり「あんな」フロイトにたいして、「そんな」フロイトという次第で....失礼しました。