なんか見つかるなあ

今日も9:30からBLのarchiveの部屋でAlixの悪筆と戦う(といいながらDeeによればAlixのhandwriting比較的読みやすいそうで、確かにそうかもしれず、今日はたまたま見たAlixのお兄さんの字、比べものにならないほどかなり読みにくかった)。でも小生はnativeでないので、その点でもdisadvantageがあるよなあ。今日のターゲットはすでに活字化されて書簡集が出ている1924−25年の手紙のなかでそこから漏れているやつを集中攻撃(この時期は最重要である)。するとかなり美味しいところがある。この書簡集のeditorsはまあBloomsbury/Freudなんて名前を付けているくらいだから、Alixのinner worldへのinsightがやはり足りないと思う(ちなみにJamesは完全にAlixに知的に支配されているマゾ男である)。この時期の書簡の決定的な歴史的な意義は、Alixにおいて関心がFreud → Abraham → Klein へと移動をして行った、その痕跡を多く豊かに蔵していることにある。その意味で、ほとんど即物的(肉体的)な発見があったりもした。なんだかこの種のリサーチの醍醐味の一端を感じた気もするが、小生の書く論文を真に支えるためにはまだまだ膨大な手稿、それもJames, Carringtonなどの手紙や(後者の)日記も読まなくてはいけなくて、またその後には(第2作のためには)Joan Rivereのあの悪筆とも戦わなくてはいけない。やはり来てはいけない道に来てしまったのかもしれない。ちなみにこの本がその書簡集(いや出来はいいのですが、でもちょっと批判はあります):

Bloomsbury/freud

Bloomsbury/freud

今日の発見で面白かった箇所でそれなりに論文にも使えるかもしれないところは(まあ他と比べて微細なところだけれども)、Alixがベルリンのフラットに帰ってきて、とても湿っぽいという記述をしているときに Moth-eatenと書こうとして、mother-eatenと書きかけて、結果的にmother-eatenみたいな形になっているところ。ここを入れて注釈をつけてほしかった(とても配慮の細かい編集なのだけれどもねええ)。いうまでもなくFreudian classical parapraxis と言うべきところだろう。まあそれ以外にもいろいろありました。

そろそろ散髪に行きたくなってきたのだが、イギリスの床屋さんには10年前にひどい目に会ったことがあるので、例の狼系の院生さん@ロンドンに紹介してもらったCovent Gardenの日本人の経営のところに明日の17:30に予約してもらった(携帯も電話もないので)。店長が一時帰国中なのでそのかわりに「かなちゃん」というロンドンの長澤まさみともっぱら評判の方が担当をしてくれるそうである(長澤まさみか...小生はガッキーのほうが好みなのだけれども。でもそんな贅沢はいいません)。